2023年12月現在上映中のアニメ映画「窓ぎわのトットちゃん」
小学1年生で公立小学校を退学になってしまったトットちゃん。
お母さんが必死にトットちゃんに合った学校を探して連れて来てくれました。
そこで出会った校長先生は「君はとてもいいこだよ」と言ってくれたのです。
その学校の名前は「トモエ学園」でした。

トモエ学園ってすごくいい学校だけど、どこにあったんだろう?
このように映画「窓ぎわのトットちゃん」の舞台となった「トモエ学園」の場所やその後が気になった方も多いと思います。
そこでこのページではトモエ学園はどこにあったのか?
そして、その場所に今はなにがあるのかについて調査しましたのでご覧ください。
・【窓ぎわのトットちゃん】トモエ学園はどこにあったのか
・その場所には今は何があるのか
【窓ぎわのトットちゃん】トモエ学園はどこにあったの?
トモエ学園は、かつて東京都目黒区自由ヶ丘(現在の自由が丘)にありました。
開校:1937年9月開校
住所:東京都目黒区自由ヶ丘2丁目15番地
リトミック教育を日本で初めて実践的に取り入れた学校として知られています。
【窓ぎわのトットちゃん】トモエ学園のあった場所には今は何があるの?
トモエ学園のあった場所の跡地には「ピーコックストア自由が丘店」が出来ました。
もとはJ. フロント リテイリングの傘下企業「株式会社ピーコックストア」(旧称:株式会社大丸ピーコック)として営業していたが、2013年(平成25年)4月の株式譲渡に伴いイオングループの一員となり、商号も「イオンマーケット」に変更された。 なお店舗名としての「ピーコックストア」はイオングループ参入後も維持されている。
ピーコックストアとは検索画面より引用
しかし2000年代に入り立て替えに伴い2021年5月末に閉店しています。
その後はイオングループの商業施設「JIYUGAOKA de aone」が建設され、その施設内に「ピーコックストア自由が丘デュオーネ店として2023年10月20日に開業しました。

トモエ学園の痕跡は何もないのかな?
トモエ学園の記念碑が建立

「商業施設が立てられていると言うことはトモエ学園があった痕跡は消えちゃったのかな?」なんて寂しく思いませんでしたか?
ところが1988年、トモエ学園の前身「自由ケ丘学園」とトモエ学園の同窓生らにより跡地に記念碑が建立されています。
そして、2023年の立て替えのときにリニューアルされました。
2023年11月24日の「トモエ学園」記念碑の除幕式には黒柳徹子さんも参加されています。
記念碑の設置場所は「JIYUGAOKA de aone」入り口付近の植栽部分に再び設置されました。
記念碑にはこのような言葉が刻まれています。
除幕式には、35年前の除幕式に続いて黒柳徹子さんが出席しました。
ひもを引き、久しぶりに記念碑と対面した黒柳徹子さんは
「今から80年ほど前、私はここにある小学校に通っていた。校庭は土で、プールもあって、電車の教室がたくさんある、子どもたちの夢の学校がここにあった。
記念碑を作ってもらい、トモエ学園がここにあったことを遺(のこ)すことができて良かった」と笑顔で語りました。
トモエ学園に通っていた時が人生で一番幸せだった時だと言う黒柳徹子さんは他にもこのような思い出を披露してくれました。
小林宗作校長が「君は本当は良い子なんだよ」と会う度に言ってくれたこと |
午前中で授業が終わると午後から近くの九品仏・浄真寺へ毎日のように通った |
その道のりで先生からいろいろなことを教わったこと |
記念碑には管理データにアクセスできるQRコードが刻まれています。
それは同校校歌の楽譜や自由ケ丘学園の創設者・手塚岸衛とトモエ学園・小林宗作の写真など、
そして新たに黒柳さんがトモエ学園について語った動画データなどがデジタルデータ化されているのだそうです。
さいごにトモエ学園の経歴について紹介しましょう。
トモエ学園の経歴
1937年:成蹊小学校などで教鞭を執った小林宗作がトモエ学園を創設。
※日本で初めて「リトミックによる創造教育」を実践した
1944年:太平洋戦争激化により、児童の多くが疎開する。
1945年:東京大空襲により校舎が焼失、のちに幼稚園のみ再建。
1946年:小学校が廃校となり、幼稚園のみで存続
1963年:小林の死去に伴い幼稚園を閉園、以後休校とする。
1964年:事実上廃園となる
1978年:トモエ幼稚園の廃園届が認可される
【窓ぎわのトットちゃん】トモエ学園のあった場所についてまとめ
このページではトモエ学園はどこにあったのか?
そして、その場所に今はなにがあるのかについて調査しました。
まとめますとこのようになります。
開校:1937年9月開校
住所:東京都目黒区自由ヶ丘2丁目15番地
現在は商業施設「JIYUGAOKA de aone」
【トモエ学園歴史】
1937年:成蹊小学校などで教鞭を執った小林宗作がトモエ学園を創設。
※日本で初めて「リトミックによる創造教育」を実践した
1944年:太平洋戦争激化により、児童の多くが疎開する。
1945年:東京大空襲により校舎が焼失、のちに幼稚園のみ再建。
1946年:小学校が廃校となり、幼稚園のみで存続
1963年:小林の死去に伴い幼稚園を閉園、以後休校とする。
1964年:事実上廃園となる
1968年:跡地にピーコックストア自由が丘店がオープン
1978年:トモエ幼稚園の廃園届が認可される
1988年:トモエ学園の記念碑が建てられる
2013年:ピーコックがイオンの傘下に
2021年:ピーコック自由が丘店閉店、この時に記念碑も撤去
2023年10月:商業施設「JIYUGAOKA de aone」が開店
2023年11月:トモエ学園の記念碑が再建され除幕式が行われる
※黒柳徹子さんは1988年もこの時にも出席
今回は映画「窓ぎわのトットちゃん」の舞台となる「トモエ学園」の跡地について調査しました。
もしも、近くに行かれることがありましたら足を止めて記念碑を探してみて下さい。
その場所で多くの子供たちが楽しくと遊び学んでいたのです。
戦争さえなければ今でも「トモエ学園」は続いていたかもしれないと思うとちょっと寂しいですね。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
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