格闘家と俳優という二つの顔を持つ黒石高大さん。
THE OUT SIDER出身で、ブレイキングダウンでも人気の選手です。
とてもカッコよくてイケメンだと注目されています。
俳優としても活躍されている黒石さんですが、若い頃からカッコよくてイケメンだったことをご存じでしょうか。
また、若い頃からヤンチャで愚連隊の総長を務めていたそうです。
ここでは黒石高大さんの若い頃からのイケメン姿を紹介するとともに
いったいどこのチームに所属していたのかについても調査してみましたのでご覧ください。
黒石高大のwikiプロフィール経歴
格闘家、俳優として活動されている黒石高大さんのプロフィールや経歴をwiki風に一覧にまとめてみましたのでご覧ください。
中学、高校と不良の道を邁進し、少年院に入ったり、愚連隊を作って初代総長になったりと不良の王道を歩いています。
黒石高大さんが少年院出所後に作った愚連隊が「横浜義道会」です。
このころに、喧嘩で負け知らずなところから「濱の狂犬」と呼ばれ始めたみたいですね。
「しくじり先生」のなかでも、ご自身「自身でもクズだった」と発言されていますからそうとうなものだったと想像できますよね。
その後も地下格闘技に参加し、不良を続けていた黒石高大さんですが、転機となるのが2008年の「THE OUT SIDER」参戦です。
不良の喧嘩大会があると聞き、血が騒いで参戦しますが、結果は、2試合連続KO負け。
特に、2戦目は空手歴8年柔道歴1年の増田選手に2秒でKOされてしまいます。
「しくじり先生」でも発言していますが、このときは精神的に相当キツかったようです。
この2つの敗戦が、格闘家黒石高大を生んだのかもしれません。
周囲が強すぎて挫折を味わった黒石高大さんは心を入れ替え格闘ジムに入会し、同時に、造園、建築関係の会社で職人としての仕事も始めました。
朝4時起きのトレーニングから始まって、日中は仕事をこなし、仕事後も練習という生活を続けることで、試合でも結果が出せるようになります。
2020年からはブレイキングダウンにも参戦し、2023年の敗戦で一時は引退となりましたが、瓜田純士選手の呼びかけで、対戦が決定し現役復帰を果たしています。
また、2010年からは俳優業にも進出しました。
出演した作品を抜粋してご紹介すると「十津川警部シリーズ」「仮面ライダーフォーゼ」「ウルトラマンギンガ」「相棒season18」「水曜日のダウンタウン」など多岐にわたります。
メジャーな番組が多いですね。バリエーションがすごい!
端役での出演が多いですが、格闘家との両立はすごいことです。
不良から始まって、格闘家、俳優というプロフィールもなかなかいないと思います。
このように格闘家としだけではなく俳優業もこなすカッコよくてイケメンの黒石高大さん。
若い頃からカッコよくてイケメンだったという噂について調査してみましたのでご覧ください。
黒石高大の若い頃がかっこよくてイケメンってホント?
俳優としても活動している黒石高大さんですので、若い頃からかっこよくてイケメンだったと思います。
そんな黒石高大さんの若い頃について画像と共に紹介いたします。
まずはこの画像をご覧ください。
整った顔立ちのイケメンだった黒石高大さん。
こちらは黒石さんの若い頃の写真(中学生~高校生)ですが、なかなかの迫力…。
でも右の写真は笑顔がちょっとかわいいですよね。
中学生の頃、地元の怖い先輩から「お前は今日からギャングだ」と言われ、悪の道へ進んでいった黒石少年。
生活もだんだんと不規則になり、昼に起きて、朝食兼昼食をとった後は、ヤンキー仲間とたむろするようになります。
たむろした後は「街をパトロール」という名目で喧嘩を売っていたそうです。
パトロールに飽きると、ファミレスに仲間と集まり、明け方まで楽しんだ後、朝7時頃就寝というめちゃくちゃな生活を送っていました。
16歳の時には「警察官を怖がらせてやろう」と交番を襲撃し、半年間少年院に入ることになってしまいます。
出所後も、懲りるどころか不良道を邁進し、愚連隊の初代総長に就任します。
さて、見事に愚連隊総長になった黒石高大さんですが、じきに転機が訪れました。
通っていた高校の校長先生に「もう本当に面倒見切れません。黒石君の未来の為に自主退学して下さい」と言われてしまいます。
さらに、ある日寝ている時に、母に包丁を突きつけられ「これ以上人に迷惑かけるなら、母としてお前を殺して私も死ぬ」と言われ、目が覚めたみたいですね。
以後、「中退したら中途半端な奴になる」と改心し、毎日反省文を書いて先生に提出し、本気度を分かってもらっていたそうです。
通っていた高校も、改心後は無遅刻無欠席で卒業されたようですね。
このあたりからイケメン度というか漢気が急速に上がっていったのではないでしょうか。
お母さまと一緒でうれしそうな表情とともに優しそうな感じがイケメンですね。
喧嘩三昧だった不良を経験したことでただのイケメンだった若い頃に比べて自覚が生まれたことで、内面から磨かれ、真の漢気ある「イケメン」になったのではないでしょうか。
黒石高大が所属していた愚連隊のチームはどこ?
では次に黒石高大さんが若い頃に所属していた愚連隊のチームはどこなのか詳しく紹介いたします。
少年院出所後も、懲りるどころか不良道を邁進した黒石高大さんは、17歳で「横浜義道会」というヤンキー集団を作り、初代総長に就任します。
さらに、「横浜ギャング連合」の総大将も務め、ワルのグループ2つのリーダーになりました。
ですので、黒石高大さんは「横浜義道会」「横浜ギャング連合」という愚連隊の所属となりますね。
元々、街の不良集団だった横浜義道会ですが、ストリートファイトを経て、後に地下格闘技など格闘技を中心とした活動になっていきます。
このころに、喧嘩で負け知らずなところから「濱の狂犬」と呼ばれ始めたようです。
意外なことに愚連隊が格闘家黒石高大の原点になっているんですね。
黒石高大の若い頃の武勇伝まとめ
中学、高校とヤンチャ一筋の黒石さん。
その黒石高大さんの若い頃の武勇伝を一覧表にまとめてみました。
いかがでしたでしょうか。
怖い先輩の一言から不良になり、昼夜逆転生活での喧嘩三昧から始まって、交番襲撃、愚連隊設立及び総長就任と武勇伝と呼ぶにふさわしい経歴ですね。
ですが、この武勇伝が後の格闘家、俳優業へ繋がっていると思うと、とても興味深いですよね。
現役復帰された格闘家、俳優業と、黒石高大さんの今後の活躍に期待したいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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