2023年5月19日に、大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎のため81歳で亡くなったと発表がありました上岡龍太郎(かみおかりゅうたろう)さん。
その存在は現在活動中の芸人やタレントからもレジェンド的な扱いとなっております。
上岡龍太郎さんが芸能界を引退したのは2000年でありまして23年も前の話となっております。
何がすごくてカッコよかったのか。
上岡龍太郎さんのこれまでの経歴や若い頃のエピソードを画像と共にまとめてみましたのでご覧ください。
上岡龍太郎の若い頃がカッコイイ・凄い
【1981年映画「ガキ帝国」出演時の上岡龍太郎さん】
2023年5月19日に、大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎のため81歳で亡くなったと発表がありました上岡龍太郎さん。
では、まずはプロフィールや経歴について簡単ではありますがご紹介致します。
上岡龍太郎の若い頃がカッコイイ・凄い ①プロフィール・経歴
では、上岡龍太郎さんの若い頃からのプロフィールや経歴についてまとめてみましたのでご覧ください。
では、上岡龍太郎さんの若い頃のカッコいい・凄いと言われるエピソードについてご紹介していきます。
上岡龍太郎の若い頃がカッコイイ・凄い ②数々のエピソード
上岡龍太郎さんの若い頃のカッコいい・凄いと言われているエピソードについてまとめてみましたのでご覧ください。
上岡龍太郎の若い頃のカッコいい・凄いと言われるエピソード ①若い頃の芸名が凄い
【漫画トリオ時代の上岡龍太郎さん 画像右手】
1959年に三人組お笑いトリオ漫画クラブとして活動していた上岡龍太郎さん。
この当時は芸名「横山パンチ」として活動しておりました。
全国区となったのが1990年代からですから、関東圏の方々にはあまりなじみがないかもしれません。
巧みな話術が得意なイメージのあった上岡龍太郎さんですが、ツッコミが苦手で横山ノックさんから叱られることもあったそうです。
西川きよしさんとお笑いコンビ「きよしやすし」を組んでいた横山やすしさんは横山ノックさんの弟子であり、マンガクラブの付き人もあったそうで二人は面識もあったそうです。
上岡龍太郎の若い頃のカッコいい・凄いと言われるエピソード ②曲がったことが嫌い
上岡龍太郎さんのカッコいいエピソードにこのようなものがあります。
とある番組が始まる前にディレクターがADに対して理不尽に怒っていたことに対して、上岡龍太郎さんがそれを聞いてこう言ったということであります。
「おい、やめろお前」「気分悪いわ、もうこんな現場やられへん」と言って出て行ってしまったそうです。
当時はまだパワハラなど当たり前の理不尽な時代。
そんな中でもそれを許せないと思い口に出し行動してしまうのが曲がったことが大嫌いでしかもそれを行動に移せるのがカッコいいと思いました。
上岡龍太郎の若い頃のカッコいい・凄いと言われるエピソード ③話術が凄い
上岡龍太郎さんと言えばやはりその話術が凄いということに尽きると思います。
司会者としてまたは一人で舞台で披露するその話術は、センスも良く、流れるようで見ているこちらも気持ちよくなってしまうほどでありました。
ときには笑いを挟みつつも的確にしかも流れるように淡々としゃべり続けているがセンスもトークも抜群に上手いことが感じられました。
上岡龍太郎の若い頃のカッコいい・凄いと言われるエピソード ④企画が凄い
【画像・探偵ナイトスクープ 初登場シーン】
上岡龍太郎さんが凄いと言われる理由の一つに企画力の凄さが挙げられます。
そのことを象徴しているエピソードがこちらではないでしょうか。
1990年4月に上岡龍太郎さんのと島田紳助さんが出演していたEXテレビでの話なのですが。
過激な企画の多かった番組内で二人の担当していた火曜日は特に人気があったそうです。
特に話題となったのが「視聴率ゲリラ事件」とよばれるもので。
番組ラストの1分を使って行われたこの事件は上岡龍太郎さんが視聴者に「ご覧のチャンネルを1分間だけNHK教育テレビに変えてください」と視聴者に呼び掛けたことで起きました。
この結果0%だったNHK教育テレビの視聴率が2%に、読売テレビの視聴率が10%から8%に一瞬で変動したという事です。
このことはテレビの企画で視聴率を操作するのは問題だと、視聴率集計会社からクレームが来たそうですが。
ありきたりの企画では視聴者は納得しないとこれをはねのけたそうです。
なかなかやることが凄いですよね。
業界のスタンスをものともしない
その姿勢がカッコいいですね。
上岡龍太郎の若い頃のカッコいい・凄いと言われるエピソード ⑤マラソンも早い
【画像・マラソン参加時の上岡龍太郎さん】
上岡龍太郎さんの凄いところはしゃべりだけでなくマラソンも早かったことではないでしょうか。
1995年に豪州のゴールドコーストマラソンで、一般ランナーの壁とされる4時間以内のタイムを、3時間48分25秒で走破しクリア。
北海道で有名なサロマ湖100キロウルトラマラソンのようなウルトラマラソンにも挑戦して完走しております。
また、TBSの名物番組「オールスター感謝祭」での「赤坂5丁目ミニマラソン」でも上位のハンディキャップ組として常連となっておりました。
上岡龍太郎の若い頃のカッコいい・凄いと言われるエピソード ⑥甥がお笑いコンビ「ミキ」
実は上岡龍太郎さんには母の違う妹さんがおりまして、その息子というのがお笑いコンビ「ミキ」のふたり(昴生、亜生)であります。
上岡龍太郎さんの苦労を知っていたミキの二人のお母様はお笑いの道を目指すことを反対していたそうです。
しかし、それを振り切ってデビューしてしまった二人に対して決して売れるまでは「上岡龍太郎」の名前を口に出すなとだけ言い聞かせたそうです。
二人はその教えを忠実に守り今では有名芸人となったわけですが
決して上岡龍太郎のネームバリューを利用することなくのし上がったミキの二人も凄いですが。
それ以上に上岡龍太郎さんからなる一族のお笑いのセンスというものに凄さを感じました。
上岡龍太郎の若い頃のカッコいい・凄いと言われるエピソード ⑦芸能界からの引き際
上岡龍太郎の若い頃がカッコいい・凄いと言われる理由の一つに、芸能界の引き際が潔かったことがあげられます。
1990年代に人気絶頂だった上岡龍太郎さんですが、2000年に芸能界を電撃引退しております。
その理由として語っていたのが「自分のような芸風は21世紀には通用しない」ということでありました。
当時バラエティなどでも上岡龍太郎さんの姿を見ない日はないというぐらい人気があったのですが
それでも自分はこれ以上は望めないと自分のピークを悟り引退を決意してしまうその潔さに男の美学、カッコよさを感じてしまいますね。
上岡龍太郎の若い頃がかっこいい・凄いと言われるエピソードまとめ
ここまで上岡龍太郎(かみおかりゅうたろう)さんの若い頃のカッコいい・すごいと言われているエピソードやプロフィールや経歴についてご紹介してきました。
まとめますとこのようになります。
このように人気絶頂だった2000年に電撃引退した上岡龍太郎さん。
若い方はご存じの無い方もいらっしゃるかもしれません。
この記事で上岡龍太郎さんについて少しでもわかっていただければ幸いであります。
2023年5月19日に、大阪市内の病院で肺癌と間質性肺炎のため81歳で亡くなったと発表がありました上岡龍太郎(かみおかりゅうたろう)さん。
テレビで再びあのキレのあるトークが聞けることもあるかなと思っておりましたが、とても残念であります。
今はご冥福を祈りたいと思います。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
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