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【指揮者】小澤征爾(せいじ)の若い頃がかっこいい!凄すぎる家系図を紹介!

世界のオザワと呼ばれていた世界的な指揮者である小澤征爾(せいじ)さんが心不全のため、2024年2月6日に都内の自宅で亡くなったことが2024年2月9日に報道されておりました。

享年88歳でありました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

そこでここでは世界的な指揮者であった小澤征爾(せいじ)さんの若い頃のかっこよかった姿や華麗なる一族と言われ、凄いと言われる家系図についてまとめてみましたのでご覧ください。

このブログを読んでわかること

・【指揮者】小澤征爾(せいじ)の若い頃のかっこよさ
・【指揮者】小澤征爾(せいじ)の家系図について

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【指揮者】小澤征爾(せいじ)の若い頃のかっこよさについて

では世界的指揮者で「世界のオザワ」とも言われていた小澤征爾(せいじ)さんの若い頃のかっこよさについてご紹介していこうと思います。

こちらは1963年小澤征爾(せいじ)さんが28歳だったころの写真であります。

Twitter(X)より画像引用

どことなく俳優の向井理さんを思わせるようなイケメンな姿がカッコいいですね。

1961年にNHK交響楽団(N響)の指揮者に招かれ指揮活動を開始した小澤征爾(せいじ)さんでしたが。

まだ若い指揮者であった小澤N響からボイコットを受けたった一人で指揮台に立つという苦い経験をしたことがきっかけで指揮者を辞任。

このため日本では音楽活動をしないと決め、渡米したころになります。

ひらけん
ひらけん

世界のオザワにもそんな時代があったなんて驚きでした。

しかしこの経験をバネにしてその後世界の指揮者とまで言われるようになったのはカッコイイし凄いですよね。

小澤征爾(せいじ)さんのwikiプロフィール経歴

そんな小澤征爾(せいじ)さんの①本名(名前の由来)、②出身地、③学歴、④家族・結婚、⑤経歴について順番にご紹介したいと思います。

小澤征爾(せいじ)さんの①本名(名前の由来)

小澤征爾さんは現在の中華人民共和国遼 寧省瀋陽市生まれです。

小澤さんの父は満洲国協和会創設者の一人で、同志の板垣四郎石原莞から一字ずつ貰って

「征爾」と名付けられました。

小澤征爾(せいじ)さんの②出身地

小澤征爾さんは中華人民共和国の遼寧省瀋陽市で生まれ、5歳までの幼児期を中国で過ごしました。

その後、母と兄と一緒に日本に帰国。

幼稚園~小学校まで東京都の立川市で過ごし、

中学生の時に父の仕事の関係で一度神奈川県に引越しています。

ですが、その後高校入学前にまた東京に戻ってきています。

小澤征爾(せいじ)さんの③学歴

中学は、東京の中高一貫の「成城学園中学校」に入学、この当時は神奈川から片道2時間かけて通学していたそうです。

意外にも中学時代の部活は「ラグビー部」。

当時はピアニスト志望で、ラグビーと同時にピアノに打ち込んでいましたが、ラグビーの試合で大怪我をしピアノの道を断念することになりました。

その後高校は「成城学園高校」にエスカレータ式で進学、ここで母の遠縁である齋藤秀雄の指揮教室に入門。

齋藤秀雄の協力をもとに設立された桐朋女子高校音楽科へ第1期生として入学するために、成城学園高校を中退します。

再入学した先では当時癇癪持ちの齋藤秀雄から、指揮棒で叩かれたりスコアを投げつけられたりするなどの体罰を日常的に受けていました。

大学は齋藤秀雄が教授を務める「桐朋学園短期大学(現:桐朋学園大学音楽学部)」へ進学。

2年後同大学を卒業。小澤さんは肺炎で卒業試験を受けられなかった為、一人春の卒業ではなく夏の卒業だったそうです。

小澤征爾(せいじ)さんの④家族・結婚

小澤征爾さんには2人の妻と、2人のお子さんがいらっしゃいます。

1人目の妻は「江戸京子さん

江戸京子さんとは結婚生活4年で離婚しています。

2人目の妻は「入江美樹さん

入江美樹さんとの間にお子さんがお二人いらっしゃいます。

モデル兼作家の長女「小澤征良さん」と俳優の長男「小澤征悦さん」です。

小澤征爾(せいじ)さんの⑤経歴

では、次に小澤征爾さんの経歴についてご紹介しようと思います。

一覧にまとめてみましたのでご覧ください。

小澤征爾の経歴

1935年9月1日:満洲国奉天省奉天市に生まれる
1941年:日本にわたり東京府立川市の若草幼稚園に入園
1942年:立川国民学校へ入学
1948年:成城学園中学校へ入学
1951年:成城学園高校へ進学し、齋藤秀雄の指揮教室に入門
1952年:成城学園高校中退。桐朋女子高校音楽科に入学
1955年:桐朋学園短期大学音楽学部へ進学
1957年:大学卒業後「群馬交響楽団」で指揮者を担当
1959年 単身でフランスに渡る
1959年:パリ滞在中にブザンソン国際指揮者コンクール第1位獲得
1960年:27歳の若さでNHK交響楽団の指揮者に就任
1964年:ラヴィニア音楽祭の音楽監督として音楽祭を成功に導く
(シカゴ交響楽団ラヴィニア音楽祭の指揮者が急病により辞退したため)
1973年:ボストン交響楽団の音楽監督に就任
※2002年まで同楽団で音楽監督を務める
2002年:日本人指揮者として初めてウィーン・フィルニューイヤーコンサートを指揮
※このコンサートは世界同時生中継されCDは100万枚を超える大ヒットとなる
2005年頃:体調を崩し静養に入る
※当時務めていたウィーン国立歌劇場音楽監督としての活動も一時休止
2007年:指揮者として活動を再開
2010年:食道がんを発症
2011年:腰痛の手術
※これらの影響で再び活動休止となる
2012年:活動再開小林秀雄賞受賞
(村上春樹との共著『小澤征爾さんと、音楽について話をする』)
2015年:日本人初のケネディ・センター名誉賞を受賞

複数の賞を受賞し輝かしい経歴の小澤征爾(せいじ)さんですが、やはり年齢には抗えず晩年は病気と闘いながらの活動でした。

では次に華麗なる一族と言われた小澤征爾(せいじ)さんの家系図についてご紹介したいと思います。

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【指揮者】小澤征爾(せいじ)の家系図について

ではここからは華麗なる一族と言われた小澤征爾(せいじ)さんの家系図についてご紹介したいと思います。

こちらが小澤家の家系図になるのですが。

Twitter(X)より画像引用

こちらを見ていただければわかるのですが、総理大臣をはじめとして、モデルやミュージシャンなど政治・学者・産業・芸能と各分野にわたる著名人たちが名前を連ねております。

小澤家の人々をピックアップ!プロフィール経歴をご紹介

では華麗なる一族である小澤家の人々を何人かピックアップしてみました。

プロフィールや経歴をwiki風にまとめてみましたのでご覧ください。

小澤家の人々wikiプロフィール経歴 ①小澤征悦(おざわ ゆきよし)

Wikipediaより画像引用
小澤征悦(おざわ ゆきよし)のプロフィール経歴

【プロフィール】
小澤征爾との関係:親子(長男)
生年月日:1974年〈昭和49年〉6月6日生まれ
年齢:50歳(2024年2月現在)
出身地:アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ
家族:父:小澤征爾 母:入江美樹 姉:小澤征良
職業:俳優

【学歴】
高校:成城学園高校卒業
(父:征爾と同じ)
大学:成城学園大学進学
(在学中にボストン大学演劇科に1年間留学)

【略歴】
1998年:大河ドラマ「徳川慶喜」の 沖田総司 役でデビュー。
2003年:エランドール賞新人賞を受賞。

その後数え切れないほどの、映画やドラマ、舞台に出演しています。

小澤家の人々wikiプロフィール経歴 ②小沢健二(おざわ けんじ)

Instagramより画像引用
小沢健二(おざわ けんじ)のプロフィール経歴

【プロフィール】
小澤征爾との関係:親戚(甥)
生年月日:1968年〈昭和43年〉4月14日生まれ
年齢:56歳(2024年2月現在)
出身地:神奈川県相模原市
家族:父:小澤俊夫 母:小沢牧子
職業:シンガーソングライター
【学歴】
高校:神奈川県立多摩高等学校卒業
(部活動ではバンドを組んでいました。)
大学:東京大学文科三類に進学
【略歴】
1987年:大学在学中にアマチュアバンド「ロリポップ・ソニック」で活動。
1989年:「フリッパーズ・ギター」と改名しプロデビュー。
1991年:「フリッパーズ・ギター」解散。
1993年:ソロデビューし、1990年代数々のヒット曲をリリース。
(「渋谷系の王子様」と称され当時の若者から大人気でした。)
1995年:NHK紅白歌合戦に出場。
1996年:NHK紅白歌合戦に出場。
1997年:野外フェスの出演の後、コンサート活動を休止。
1998年:シングル『春にして君を想う』をリリース後、活動休止して渡米。

ひらけん
ひらけん

ちょっとこれは凄すぎですね。

さらに凄いところは甥であるミュージシャンの小沢健二さんのお母様の家系をさかのぼっていくと。

性加害問題に揺れていたジャニーズ創業の一族喜多川家へとつながるのですよね。

まさに華麗すぎる一族である小澤征爾(せいじ)さんの家系図。

音楽家として凄いことは知っておりましたが、その一族までがこんなにも凄いとは初めて知りました。

今はただその凄さを振り返りながらご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

ここまで読んでいただきましてありがとうございます。

小澤征爾(せいじ)wiki

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