2024年1月9日に八代亜紀さんが亡くなったと報道がありました。
12月30日に急速進行性間質性肺炎のため死去していたということであります。
享年73歳でした…ご冥福をお祈り申し上げます。
実は若い頃はキャバレーで勤務していたという八代亜紀さん。
そのキャバレーはどこだったのか調査してみました。
キャバレーの店名や場所、そして2024年1月現在も営業しているのかどうかを紹介いたします。
八代亜紀の勤務していたキャバレーについて
八代亜紀さんが一番最初に歌った場所は地元にあるキャバレーだったと言います。
当時15歳だったそうですが、年齢を18歳と偽って勤務して歌ったそうです。
それが3日で父親にばれて家を勘当されて東京へ上京したという八代亜紀さんが勤務していたこのキャバレーについて紹介したいと思います。
店名・場所・今も営業しているのか調査してみました。
八代亜紀の勤務していたキャバレーについて ①店名
八代亜紀さんが勤務していたキャバレーの名前は「キャバレーニュー白馬」と言います。
八代さんが歌った当時は「白馬」という…名でしたがその後「ニュー白馬」と変わったそうです。
画像の入り口に書かれている英語は「whitehorse(白馬)」と店名の英語名が記載されております。
では次にキャバレー「ニュー白馬」の場所についてご紹介いたします。
八代亜紀の勤務していたキャバレーについて ②場所
八代亜紀さんが一番最初に歌ったと言われる舞台
キャバレー「ニュー白馬」の場所は熊本県八代市本町1丁目13−9であります。
八代駅からタクシーに乗ること10分
製紙工場の白い煙が何本も立ち上る光景を目にしながら向かう先にある歓楽街の中にキャバレー「ニュー白馬」はあります。
八代亜紀の勤務していたキャバレーについて ③今も営業してるのか
では気になるのは2024年1月現在、八代亜紀さんの実質デビューした場所であるキャバレー「ニュー白馬」が営業しているのかですが…。
今でも「ニュー白馬」は営業しております。
2024年1月現在も営業しているキャバレーニュー白馬ですが。
そもそもキャバレーとはどんなものなの?
という方のためにご紹介いたします。
日本におけるキャバレーとは、ホステスと呼ばれる女性従業員が客をもてなす飲食店の一業態で、ダンスフロアを備えていた。第二次世界大戦後に現れ[1]、昭和30年代から40年代に最も流行した
「キャバレーとは」キャバレーwikiより引用
キャバレーの中でも大人数を収容し、100人超のホステスを擁して、生バンドが演奏する絢爛豪華な店舗は、特に「グランドキャバレー」と称した
「グランドキャバレーとは」キャバレーwikiより引用
全国ではキャバレーは年々その数を減らしております。
そんな中でも現在でも健在であるキャバレーニュー白馬
店内はまさに昭和の時代そのものであります。
想像以上に広くきらびやかな空間は当時のキャバレーブームを知る昭和世代にはとても懐かしさを感じるのではないでしょうか。
店内の中央奥にはバンドセットのあるステージがありますが、ここが実際に八代亜紀さんが歌った当時そのものであります。
実際に今も専属のバンドがいて、毎日演奏をしているようであります。
実際の生バンドでカラオケを歌うこともできるようなので
八代亜紀さんを追悼する意味で「舟唄」を熱唱してもいいのではないでしょうか
ちなみに初めての方でも大歓迎で、お一人様や、女性も楽しめるお店ですので是非この機会に来店してみてもいいのではないでしょうか。
八代亜紀が若い頃勤務していたキャバレーの場所はどこ?
ここまで八代亜紀さんが若い頃に勤務していたキャバレーについてご紹介してきました。
まとめますとこのようになっております。
このように八代亜紀さんのルーツともいえるべきまさに聖地であるキャバレー「ニュー白馬」
八代亜紀さんを偲ぶ聖地巡礼の旅のまさにスタート地点ともいえる場所ではないでしょうか。
八代亜紀さんのご冥福をお祈り申し上げます。
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
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