2023年12月15日公開のアニメ映画「屋根裏のラジャー」
絶賛公開中で話題となっております。
なかでも際立った存在感を放っていた二人、謎の男「バンティング」と黒い髪と目をした不気味な姿をした女の子。
この二人っていったい何者なの?
と思われた方いらっしゃるのではないでしょうか?
そこでここでは作品中や原作などからわかることから謎の男「バンティング」と黒い髪と目をした不気味な女の子の二人の関係や存在について紹介・考察してみたいと思います。
謎の男「バンティング」と黒い髪と目の女の子の関係と存在について
「屋根裏のラジャー」の登場人物で最もミステリアスな二人謎の男「バンティング」と黒い髪と目をした不気味なちょっと怖い女の子。
この二人の存在は作品中でも最も謎が多いですよね。
最後まで見ていても何で?
という疑問が湧いている方もいらっしゃるかと思います。
ではここでは二人の存在の意味や関係について紹介または考察していこうと思います。
まずは作品中二人の存在や関係について示唆していると思われる注目点について紹介したいと思います。
謎の男「バンティング」と黒い髪と目の女の子について ①注目点
「屋根裏のラジャー」の作品中において謎の男「バンティング」と黒髪で黒目のちょっと不気味な女の子の関係や存在についてわかるシーンについてまとめてみました。
ではこれら注目点から二人の存在や関係について考察してみようと思います。
バンティングと女の子について注目点 ①黒い髪の女の子は母親には見えない
バンティングと黒髪の女の子についての注目点の1点目、最初にアマンダたちの家にバンティング訪れたシーンを思い出してみて下さい。。
アンケートの調査員を装っていたバンティングとその傍らにいた黒髪の女の子。
しかし、アマンダとラジャーには女の子は見えていたが母親リジーには見えていませんでした。
このことから黒髪の女の子はイマジナリであるということが言えるかと思います。
ただ、その能力や存在は他のイマジナリたちと比べてもとても異質な存在となっておりました。
ラジャーを始めエミリや小雪ちゃん(カバ)などを見てもこの姿かたちを消すことや超人的な身体能力を見せるという能力は持ち合わせておりませんでした。
ここにバンティングと黒い髪の女の子との何らかの関係性が見いだせるのかと思いますがそのことについてはすべてを説明してから語りたいと思います。
バンティングと女の子について注目点 ②最後バンティングは写真となった
謎の男バンディングと黒髪黒目の不気味な女の子の存在と関係について考察するための注目点二つ目は
作品の最後黒目の女の子を食べてしまったバンティングが写真となってしまったことです。
作品中写真はイマジナリの世界と現実世界を結ぶチケットとして扱われておりましたが。
写真に写っている存在=現実の人間という構図となっておりました。
ここは決して子供たちだけではなくリジーが写真となって表れていることから大人もその対象であると言えます。
つまりバンティングが最後写真になったということはバンティングは人間であるということが言えます。
しかし、人間にしてはイマジナリを食べるなどと特殊な能力を持ち合わせております。
しかも最後写真となったバンティングは40~50代の初老の男性の姿だったのが一気に80歳~90歳ともいえるような老人へと姿を変えてしまいました。
これは長い間、もしかするとそれこそ気の遠くなるほど長い間バンティングはこのような能力をもったまま過ごしてきたのではないかと思えるものでありました。
それはエミリとラジャーを追い詰めたときに語っていた言葉からもわかるかと思います。
「私はキミたちの知らない世界を旅して、たくさんのことを見てきた。たくさんの現実を、たくさんの想像を見てきたあらゆるところで見えないやつらを食いながらね」
屋根裏のラジャー公式ノベルズより引用
では、何故人間であったはずのバンティングはイマジナリを食べなくてはいけない姿となってしまったのかそのことについて考察してみようと思います。
バンティングと女の子について注目点 ③バンティングはイマジナリを食べる
バンディングと黒髪の女の子の存在や関係についての注目点の3つ目にして一番重要な部分が
バンディングがイマジナリを食べるという点であります。
何故人間であったはずのバンディングがこのような存在となってしまったのか。
ここからは考察となるのですが、バンディングと黒髪の女の子の関係性にあったと推測いたします。
かつてはアマンダとラジャーのように仲のいい人間とイマジナリという関係性であったと思われるバンディングと黒髪の少女。
原作ノベルズには最後映画では描かれなかったシーンが書かれております。
写真となってしまったバンディングについてラジャーが想いを馳せるシーンなのですがこのように書かれておりました。
自分の前で起きたことの意味が、ぼくには分からなかった。でも何となくわかることもあるような気がするんだ…。図書館でイマジナリたちが言っていた。イマジナリたちはいつか人間とお別れする。だけどバンディングはそれが嫌だった、って。
「屋根裏のラジャー」原作ノベルズより引用
つまりはすべてはイマジナリである少女と離れたくなかったバンディングがすべて願ったことであるということでした。
しかし、ここでふと疑問がよぎったのですが、バンディング自身がそう願っているのであればバンディング自身がイマジナリのことを忘れなければ良かっただけのことでは?
と思いました。
これができなかったばかりに二人はこのような異形な存在となってしまったのではと思いました。
次はそのことについて考察してみようと思います。
バンティングと女の子の存在と関係について考察
何故二人がこのような異形な存在・関係となってしまったのかを知るためには過去の二人について考察してみるとわかるかと思います。
通常イマジナリと人間が分かれるときというのは人間がイマジナリのことを忘れてしまうからであります。
それは作中でも描かれておりましたが、もう一つ別れることとなってしまうことがあります。
それは人間が亡くなった時であります。
イマジナリである少女とずっといたいと願っていたバンディングでしたが、それを実現するならいつまでも少女のことを忘れなければ良かったことでした。
しかし、人間には寿命があります。
つまり亡くなってしまうと二人は離れ離れとなってしまう。
それを嫌ったバンティングは禁断の手段にと出たのだと思われます。
「屋根裏のラジャー」の原作である「ぼくが消えないうちに」にはこのような描写があります。
自分が魂を売る代わりに交わした約束もはっきりとは覚えていない。なにもかもずっとずっと昔のことだから。
「ぼくが消えないうちに」より引用
つまりバンディングは亡くなってから願いをかなえてもらうために悪魔に魂を売ったのではないでしょうか。
その代償として永遠の命を得て二人はずっと一緒にいた。
こう考えると二人の関係と存在がしっくりくるのかと思います。
永遠の命を得たバンティングでしたが、イマジナリの少女を維持するにはイマジナリを食べるしかなかった。
それがバンティングがイマジナリを食べていた理由なのではないかと考えます。
バンティングと女の子の存在と関係について考察 ①もう一つの可能性
映画内の描写や原作描写からここまでのことが考察されるのですが。
しかし、僕はもう一つの可能性についてもあったのかもしれないと考えました。
それは悪魔に魂を売ったのはバンティングではなく、イマジナリの黒髪の少女だったのではと。
寿命または事故、病気などで亡くなってしまったバウンティ、そしてそれを悲しんだイマジナリの少女が悪魔に魂を売ってバンティングを生き返らせてもらう。
しかし、魂と引き換えにその願いをかなえたイマジナリの少女は姿形も変わってしまい、自分を維持するにはイマジナリをバンティング吸収してもらう必要があった。
こういう可能性もあったのかもしれないと思い至りました。
どちらにせよ二人が望んだこの関係性でありましたが、長い時を経て誰かのイマジナリを吸収しないと維持できないこの関係に少なからず少女は疑問を持ってきていたのではないでしょうか。
それが最後少女自らバウンティに食べられることを選択した理由ではないでしょうか。
お互いを思いやってお互いをかばい合うアマンダとラジャー、そしてリジーとレイゾウコ。
二人の姿を見てかつての自分たちの姿を思い起こし、今あるこの関係は間違っている、だから終わりにしようと考えたのかもしれません。
そして、その考えに思い至り行動に移した心理を考えると悪魔に魂を売ってしまったのは黒髪の少女だったのかな…と
その方がなんとなくしっくりくるなと僕は思いましたがどうでしょうか?
もちろん逆でもしかりなんですがね、悪魔に魂を売ってまでしてこの関係を維持してきたバンティングを解放してあげたい。
アマンダやラジャー達のようなこの素敵な関係を食い物にしてまでして自分たちがこの関係にしがみつく必要はあるんだろうか…。
そう考えたのかもしれませんね。
謎の男バンディングと黒髪・黒目の少女の関係と存在についてまとめ
ここまで「屋根裏のラジャー」の中でも異質な存在であった謎の男「ミスター・バンティング」と黒髪・黒目の不気味な少女の存在と関係性について紹介・考察してきました。
まとめますとこのようになります。
これが謎の男バンディングと黒髪の少女の存在と関係なのではないかと考察いたしました。
しかし、これってアマンダとラジャーの二人についても同じことあ起きていたかもしれない。
あるいはこれから起きるかもしれないということなんですよね。
人は成長してイマジナリと決別する。
これは悲しいことではありますが、決して避けては通れない道であり、それが人としての正しい在り方なのでしょうね。
最後に二人はそれを受け入れたことは映画の描写でもわかるかと思います。
なんだか自分たちにも小さいころにはこんな存在がいたのかな?
なんて思わされるちょっぴりせつなくなるストーリーでしたね(号泣した)
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
コメント