フランスで始まるパリオリンピックで、バレーボールの審判員として日本から唯一選ばれた明井寿枝さんの壮行会が行われました。
明井寿枝さんってどんな人物かな?
このように思われた方も多いのではないでしょうか?
そこでこのページでは明井寿枝のプロフィールや経歴について調査してみました。
本名(名前の読み方)・年齢や結婚、学歴・これまでの経歴や審判歴についても調査いたしましたのでご覧ください。
明井寿枝のwikiプロフィール経歴
明井寿枝さんのwikiプロフィール経歴についてまとめましたのでご覧ください。
本名 | 明井寿枝 |
生年月日 | 1973年生まれ |
年齢 | 2024年7月現在 51歳 |
出身地 | 北海道室蘭市 |
最終学歴 | 日本女子体育大学卒業 |
職業 | 1997年~保健体育の教諭 2007年~国際審判員 |
資格 | 国際バレーボール連盟公認の審判員 |
石狩翔陽高校の体育教師明井寿枝さんはパリオリンピックでバレーボールの審判員に選ばれました。
明井さんは中学生からバレーボールをはじめ、現在は翔陽高校でバレーボール部の顧問をしています。
体育の教師でバレーボールの顧問でオリンピックの審査員と
見事な三刀流ですね!
7月9日は石狩翔陽高校で壮行会が開かれ
「みんなのおかげでいただけたチャンスなので、頑張っていきたい」と抱負を語りました。
それではここからは明井さんのプロフィールについてひとつずつ詳しくご紹介していきます。
明井寿枝のwikiプロフィール経歴 ①名前の読み方
明井寿枝さんの名前の読み方は「みょうい すみえ」です。
明井という苗字はとてもめずらしいですね。
名井は「みょうい」の他に、「あかい/あくい/あけい/みよい/めいい」等の読み方があります。
北海道に多い名字でその他では、兵庫県、広島県、山口県などにみられるとのことです。
明井寿枝のwikiプロフィール経歴 ②年齢
次に明井寿枝さんの年齢についてご紹介します。
明井寿枝さんの年齢は2024年7月現在51歳です。
1973年か1974年生まれだと推測いたします。
1973年生まれの有名人はこちらの方たちです。
明井寿枝のwikiプロフィール経歴 ③出身地
明井寿枝さんの出身地は北海道室蘭市(むろらんし)です。
室蘭市は、北海道中南部(道央地方)に位置し自然が豊かで近海ではイルカやクジラに出会える機会があります。
さらに清水町にある測量山は渡り鳥の中継地としてこれまでに200種類もの野鳥が観測されているほか、ハヤブサの繁殖地として有名です。
一方日本製鉄北日本製鉄所室蘭地区が設立され「鉄のまち」として発展。
市内の工場夜景は新たな観光資源になっています。
明井寿枝のwikiプロフィール経歴 ④結婚
明井寿枝さんの結婚についてですが、公表されていませんでした。
教師の赴任先について2009年頃のインタビューで明井さんは下記のように答えていました。
私は独身なので家族の事情っていうのもないし、ここしかないって言われたらそこに行かなくてはなりません。教員になって12年目ですが、普通は3校も転任っていうことはあまりなく、あっても2校くらいですが、私の場合は閉校などもあったので、その分いろいろ経験させてもらったっていう感じですね。
このことから2009年頃はまだ独身だったことがわかります。
2009年といえば明井寿枝さんは36歳です。
今後結婚やご家族について公表されましたら追記いたします。
明井寿枝のwikiプロフィール経歴 ⑤学歴
では、次に明井寿枝さんの学歴についてご紹介いたします。
明井寿枝さんは中学生の時からバレーボールをやっていて、体を動かすことが大好きでした。
中学の体育の先生の授業がすごく面白くて、教師という職業もいいなと思っていたそうです。
高校2年の時、やはり体育教師を目指そうと思い、体育大学を受験することにしました。
しかし、室蘭市に体育大学がなかったので、東京で日本女子体育大学ともう1校を受け両方合格!
インスピレーションで日本女子体育大学に進学されています。
大学の4年生の時に、教員試験を受けたのですが、その時は合格できませんでした。
日本女子体育大学とは?
明井さんが卒業した日本女子体育大学の基本情報はこちらになります。
大学設置 | 1965年 |
---|---|
創立 | 1922年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人二階堂学園 |
本部所在地 | 東京都世田谷区北烏山八丁目19番1号 |
学部 | 体育学部 |
研究科 | スポーツ科学研究科 |
日本女子体育大学は、東京都世田谷区に本部を置く日本の私立大学です。
大学は日女(にちじょ)という略称で呼ばれています。
明井寿枝のwikiプロフィール経歴 ⑥職業
次に明井寿枝さんの職業について経歴をまとめると下記のようになります。
1994年 | 私立高校で非常勤講師 (1年間) |
1997年 | 教員試験合格 保健体育の教諭 バレー部の顧問に C級審判員資格取得 |
2001年 | A級審判員資格取得 |
2007年 | 国際審判員の資格取得 |
2021年 | 東京オリンピック審判員 |
ひとつずつ見てみましょう
教員試験の合格
明井さんは日本女子体育大学を卒業し3年後に教員試験に合格しています。
1997年に保健体育の教諭になった明井寿枝さん。
十勝地方の大樹町というところにある高校に赴任し保健体育の授業と、女子のバレーボール部の顧問として勤めました。
審判員の資格を取得
明井寿枝さんが審判員の資格を取得した理由はバレーボール大会に行くと審判員が足りず顧問が審判を務めないといけなかったからです。
顧問として審判を務めるために日本バレーボール協会公認のC級審判員の資格を取得されました。
ところが生徒の数が減り教員の数も減らさなくてはならなくなって夕張の高校に転任することに。
夕張に移動してから、B級の審判員の資格を取得した明井さん。
その頃札幌で、バレーボールのワールドカップがあり線審(ラインジャッジ)として参加されています。
「審判というのは面白いというか、奥が深いなあ」と感じ「もっと上を目指そう」と思い、2001年にA級の資格を取っています。
当時女性のA級審判員は、道内で明井さん1人だったそうです。
勤めていた夕張の高校は生徒が集まらず、とうとう閉校することになっています。
次に赴任した小樽の学校を経て2024年7月現在は石狩翔陽高校で教員とバレーボール部の顧問をされています。
明井寿枝がパリオリンピックバレーボール審判に選ばれた理由や経緯
ここでは、明井寿枝さんがパリオリンピックバレーボール審判に選ばれた理由や経緯についてご紹介します。
明井さんがパリオリンピックバレーボール審判に日本人で唯一選ばれた理由は、これまでの実績だと考えられます。
明井寿枝さんは2007年に国際バレーボール連盟公認の審判員の資格を取得しました。
これは全国におよそ20人しか持っていない資格になります。
その後、審判として世界選手権や東京オリンピックなどにも参加しています。
2024年6月まで行なわれていたネーションズリーグでも主審を担当。
オリンピックは2021年東京大会に続いて2大会連続で審判台に立つことになります。
明井さんはパリオリンピックでは日本で唯一、世界で18人しかいない国際審判として国際バレーボール連盟からの任命を受け試合の審判を行います。
これまでのバレーボール審判員としての実績についてまとめると下記のようになります。
2024年7月現在石狩翔陽高校で体育の教師、バレーボール部の顧問を務めそしてオリンピックの審判員という『三刀流』の明井寿枝さん。
生徒やバレー部員からはこのように称賛されています。
「とにかく明るい先生で、教師になってもバレーボールで夢を追い続けているかっこいい先生です」
「1つ1つの教え方が丁寧で、1日終わるたびに自分成長しているなって感じがあります」
最後に明井寿枝さんはパリでの意気込みについて下記のように語っておられたのでご紹介いたします。
「レフェリーが目立つ試合は何かとトラブルが多い試合になっているので、私が目立たないほうが試合としてはいいと思います。だから目立たないようにしたいと思います」
近くで見ている生徒にしてみたらギャップが凄そうですね…
明井寿枝のwikiプロフィール経歴まとめ
ここまでパリオリンピックに日本で唯一バレーボールの試合の審判に任命された明井寿枝さんについて紹介してきました。
プロフィールや経歴をwiki風に一覧にまとめてみましたのでご覧ください。
パリオリンピックでは男子も女子もメダルが期待されており話題となっておりますが審判でも日本が話題になるということは大変喜ばしいことだと思いました。
暑い夏の戦いが始まりますね!
注目したいと思います。
それでは最後までお読みいただきありがとうございました。
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