ミスターブレイキングダウンこと川島悠太(かわしまゆうた)さん。
ブレイキングダウンの1からずっと出場していて戦績も7戦して6勝1敗とまさにミスターブレイキングダウンと言っても過言ではありません。
しかし、この1敗を与えた選手ってご存じでしたしょうか?
今回ご紹介しますのはミスターブレイキングダウン「川島悠太」選手から唯一白星を奪った男。
「丸田喬仁(まるたたかひと)」さんについてご紹介したいと思います。
プロフィールや経歴をwiki風に年齢や出身地・身長・体重や家族について。
また気になる格闘歴やブレイキングダウンでの戦績やブレイキングダウン8に参戦した理由についてもまとめましたのでご覧下さい。
・川島悠太に勝った男「丸田喬仁」のプロフィールや経歴について
(年齢・家族・学歴・格闘歴(戦績)について)
・ブレイキングダウン8への参戦理由について
川島悠太に勝った男「丸田喬仁」のwikiプロフィール経歴について
ブレイキングダウンの顔と言っても過言ではない川島悠汰選手ですが、かつて試合開始後、10秒かからずKO負けしてしまった試合があります。
その対戦相手は丸田喬仁(まるたたかひと)さんという方であります。
どんな人かと気になっている方もいらっしゃるかと思います。
そこでここでは丸田さんのプロフィールや経歴についてまとめてみました。
年齢や出身地・家族に学歴・格闘歴などの経歴にブレイキングダウンでの戦績について紹介しますのでご覧ください。
「丸田喬仁」のwikiプロフィール経歴について ①年齢
川島悠太選手からブレイキングダウンで唯一の勝利をもぎ取った丸田喬仁(まるたたかひと)さんの年齢は1988年生まれの34歳か35歳であります(2023年4月現在)
※何月何日生まれかが不明でありましたわかりましたら追記します。
ブレイキングダウンの選手で1988年生まれの方はブレイキングダウン7に出場していたエイリアンニキの姉である志筑杏里さんと樋口武大さんと近藤優太さんなどがおります。
続いては家族についてご紹介致します。
「丸田喬仁」のwikiプロフィール経歴について ②家族
ミスターブレイキングダウン「川島悠太」さんを倒した男として注目を浴びている丸田喬仁(まるたたかひと)選手の家族についてご紹介致します。
こちらにまとめましたのでご覧ください。
父:野球一筋で社会人までやり遂げた会社員
母:家事・パート・子育てをこなす働き者
兄:4歳年上のスポーツ万能・憧れの存在
(2005年・2006年と2年連続で学生アメフトのMVPを受賞)
妻:ビーガン&グルテンフリーお菓子屋さん&ヨガのインストラクター
娘:3歳(2022年1月現在)
このようになっております。
娘さんの事を「むすーめ」と呼び溺愛している感じが伝わってきましたし、奥様ともお互いのことを高めあえるとても素敵な関係であることが感じられました。
では次に丸田喬仁さんの学歴についてご紹介致します。
「丸田喬仁」のwikiプロフィール経歴について ③学歴
ブレイキングダウン8のオーディションで注目を浴びた「丸田喬仁(まるたたかひと)」選手の学歴ですがまとめますとこのようになります。
高校:法政大学附属第一高校卒業
大学:法政大学卒業
ではそれぞれについて詳しくご紹介していきます。
「丸田喬仁」の学歴について ①高校
丸田喬仁(まるたたかひと)さんは法政大学附属第一高校を卒業されております。
高校時代はラグビーをやっていた丸太さん。
中学時代はサッカーをやっており、部員50人のチームのキャプテンを務めたこともある丸田さん。
運動センスも有ったのでしょうが、ひたすら試合に出たくて声を出し続けてきたその姿勢も評価されたのだと思います。
サッカーは小学生から10年間やっていたのですが、高校ではまったく別世界であるラグビーにチャレンジ。
しかし、サッカーとラグビーに共通していたことが「蹴る」ということでした。
小学生の時にお兄様から蹴る事を教わってそこからボールを遠くへ飛ばすキックの魅力にとりつかれ。
中学生にになるころには身長も180㎝と抜きんでていたそうです。
そしてラグビーを通してウェイトトレーニングをして体も大きくなっていったそうです。
キックとフィジカル。
まさに格闘技へともつながる下地がこの頃にできあがったのではないでしょうか。
また、法政大学附属第一高校は中高一貫高校でありますので中学校も法政大学附属中学校であった可能性は高いかと思われます。
住所:東京都三鷹市牟礼四丁目
偏差値:68
有名な卒業生:せんだみつお・田淵幸一
「丸田喬仁」の学歴について ②大学
丸田喬仁(まるたたかひと)さんは法政大学を卒業されております。
大学時代はアメフトをやっていたのですが、アメフトにはまったきっかけは高校生の時に見に行ったお兄様のアメフトの試合でした。
2006年甲子園ボウルでエースバックを務めていたお兄様のその姿を見てカッコいいと思い自分も大学に行ったらアメフトをやろうと決意。
ここでも試合に出たくて誰よりも努力を重ね。
急激に成長した筋肉に皮膚がやぶれるほどであったそうです。
努力の末認められたのがそのキック力でした、キッカーのポジションでメキメキと頭角を表し、大学4年生の時には68得点を打ち立て日本一のキッカーへとなっております。
(関東大学1部の歴代記録)
自分のキックの失敗によって試合に負けるなど辛い思いもあったようです。
しかし、この頃自分の才能を伸ばしてくれたコーチとの出会いもあり、それが現在のコーチングとしての活動にもつながっているのだと思われます。

格闘技とコーチングのすばらしさというまさに肉体と精神の両方を
この時期に身に着けたという事でしょうかね。
【大学アメフト時代】
— 丸田喬仁 (@tomahawk_dl_k) December 5, 2020
4年生の時に師匠、飯塚けーたさんに出逢い一気に成長。
大学No.1キッカーに。
今でも立ち返る基礎と、
「キッカーとはどうあるべきか」を学んだ。
改めて見てみると、
それでもまだ荒削り。知識的には今の1/10くらいかな。 pic.twitter.com/5agRSkaR1T
では次に丸田喬仁さんの経歴についてご紹介しようと思います。
「丸田喬仁」のwikiプロフィール経歴について ④経歴
ミスターブレイキングダウン「川島悠太」さんを倒した男として注目を浴びている丸田喬仁(まるたたかひと)さんのこれまでの経歴についてご紹介致します。
まずは格闘技を始めるまでの経歴についてまとめましたのでご覧ください。
小学生:ご飯を食べるのが大好きな動ける小太り、サッカーを始める
中学生:身長が180㎝に、サッカー部のキャプテンを務める
高校生:女の子と会話をすることなくラグビーに没頭する(全国ベスト16)
大学生:アメフトを始める、日本一のキッカーとなる
2011年:証券会社に就職、持ち前の努力で顧客をつかむ
アメフトのプロになるという夢を諦めきれず渡米しトライアウトを受ける
(結果は不合格)
2012年:キッカーとしてアメリカで研修を受ける
今後の生き方を考えた時に後悔したくない思いから会社を退職
2012年~2014年:アメリカでプロになるための日々(失敗に終わる)
2015年:キッカーの育成団体(Japan Kicking Academy)を起ち上げる
2016年:アメリカのコーチを招きイベントを開催(100人が集まる)
2018年・2019年:アメフトチームの専属コーチとなる
2020年:フリーのキックのコーチとして独立
コーチングのすばらしさに目覚めアメフトのキックに限らないコーチングを学ぶ
mindset coaching schoolを卒業し、より本格的なコーチングを始める
このようにアメフトの世界では名の知れた方である丸田喬仁(まるたたかひと)さん。

行動力が凄いですよね‥。
なんとアメフトのトライアウトを受けにアメリカに行ったときは会社に39℃の熱があると仮病の電話を入れて行ったのだとか。
丸田喬仁さんの全ての行動の原動力となった言葉に「棺桶の中でガッツポーズ取れるか
どうかなんじゃないかな?」という言葉があるそうです。
これは丸田さんがNFLに挑戦するかどうか迷っていた時に営業先の社長さんからもらった言葉だったようで、この言葉が現在の丸田さんの行動の元となっているようであります。
このようにアメフトの世界ですでに成功を収めたと言っても過言ではない丸田さんがどのようにして、ミスターブレイキングダウン「川島悠太」さんを倒すまでに至ったのか。
次は格闘歴についてご紹介致します。
※丸田喬仁さんの経歴については丸田さんの「note」をまとめさせていただきました。
「丸田喬仁」のwikiプロフィール経歴について ④格闘歴
ミスターブレイキングダウン「川島悠太」さんを倒した丸田喬仁(まるたたかひと)さんが格闘技をはじめたきっかけ。
それは「mindset coaching school」へと入学したことでした。
2020年にフリーになり、家族を養うために周りが見えずがむしゃらに仕事をしていた丸田さん。
家族との仲もぎくしゃくしだした頃にキラキラ輝く奥様の姿に気づいたそうです。
話を聞くとコーチングを受けたとのことでコーチングに興味を持った丸田さんは本格的にコーチングを学ぶためにmindset coaching schoolへと入学しました。
ここで校長先生である「李 英俊」さんと出会います。
コーチングの世界でも有名な方でありますが、武術の達人でもあり、寝技の格闘技イベント「極~KIWAMI」のコミッショナーとしても有名であります。
この方と出会った丸田さんはコーチングの一環としてこれまでにやったことがないことにチャレンジするという課題に取り組むことに。
そこで選んだのが格闘技に挑戦するというものでした。
李先生の「やれるよ!一緒に練習やろうか!」という言葉に背中を押され、李先生が代表を務めるジム「Yawara」で練習を積み、1か月で8㎏の減量に成功。
その後も自分がどうなりたいかをイメージしてその目標に向かってやることを実践していくというスタイルで見事に初出場の第二回ブレイキングダウンで判定勝ちを収めます。
【#BreakingDown ワンマッチ】
— BreakingDown / ブレイキングダウン (@breakingdown_jp) September 21, 2021
🤜ライトヘビー級(88kg以下)🤛
◎高田大輝
キックボクシング1年
v.s
◎丸田喬仁
総合格闘技3ヶ月#1分間最強の男
はどっちだ?#BreakingDown#第二回大会は9月26日
🎫チケット購入ページ↓https://t.co/O89yOTtOVA pic.twitter.com/ic3p3mhREx
格闘技を始めて3か月でキックボクシング歴1年の相手に勝てたのは、目標に向かってどれだけ質の高い努力を積み重ねられたかが重要だったのではないでしょうか。
元々の丸田さんのポテンシャルもあったことは確かでしょうが、それ以上にマインドが大事だなと思わせました。
そして、挑んだのが1か月後に行われた、第3回ブレイキングダウンでした。
格闘技歴4か月の丸田さんが勝負できるのはマインドだけだと思いイメージしたのが次の事でした。
・朝倉未来さんに前回の自分より成長したと言わせたい
・いやーすごいなこの人と言わせたい
優勝や勝利をイメージしたのではなく朝倉未来さんにどれだけ印象を残せるかという事をイメージしたそうです。(試合では実際に言われてました)
そのためにやったことが次の事でした。
・理想の自分と現在の自分のギャップに絶望する
・理想を達成するための方法を集める
・格闘技の過去動画などから使える動きやコンビネーションを研究
・その動きを練習で再現できるまで叩き込む
これらのことを愚直に続けた結果が、第三回ブレイキングダウンでのミドル級での1回戦勝利、そして二回戦での川島悠太さんをKOすることにつながったのであります。
決勝では惜しくも井土選手に負けてしまいましたが、格闘技歴4か月の選手がここまでできただけでもすごいことではあります。

コーチングの思想って凄いですね。
僕も受けてみたくなってきました。
その後第4回ブレイキングダウン(2022.3.21)には柔術も学び挑むのですが、安井選手に敗れてしまいます。
腕ひしぎ逆十字をかけられるのですが、結構な時間技を耐えていて腕も変な方向に曲がっていて骨や脱臼が心配されましたが、靭帯の損傷だけで済んでいたようであります。
【第二回ブレイキングダウン】
vs高田大輝選手
○2-1判定勝ち
【第三回ブレイキングダウン】
ミドル級トーナメント
一回戦 vsリンダマン選手
○3-0判定勝ち
準決勝 vs川島選手
○KO勝ち
決勝 vs井土選手
●1-2判定負け
【第四回ブレイキングダウン】
vs安井飛雄馬選手
●KO負け(腕ひしぎ逆十字)
5戦3勝2敗(1KO)
その後は第8回ブレイキングダウン迄ブレイキングダウンには参加はしておりませんでした。
靭帯の怪我とかで格闘技からは離れていたのかな?
と思いましたが、実は丸田さんこんなところにおりました。
なんと、オーディション会場で乱闘があった時に止めに入る黒服の人達。
その中にいる丸田さんを発見しました。
どうやらブレイキングダウン6・7はケンカを止める人としてブレイキングダウンに参加しておりました。
また、喧嘩を止める視点からブレイキングダウンオーディションについて語っているYouTubeチャンネルはなかなか違った視点からオーデションを見ることができて面白いです。
実はブレイキングダウン4が終わった後に格闘技にのめりこみすぎた丸田さん。
そのことにより収入が激減、家庭の状況もよろしくなくなったそうで、それを回復させようとしばらく格闘技は抑え気味にしていたそうです。
戦いたい相手はポーランドの刺客さん、ヴェルサイユ理事長、胸気ニキこと八須拳太郎さんだということであります。
果たしてこの三人の中から対戦相手が決まったのか!?
楽しみであります。
川島悠太に勝った男「丸田喬仁」のwikiプロフィール経歴まとめ
ここまでミスターブレイキングダウン「川島悠太」さんを倒した「丸田喬仁(まるたたかひと)」さんのプロフィールや経歴についてwiki風にご紹介してきました。
まとめますとこのようになります。
【プロフィール】
生年月日:1988年生まれ(34歳か35歳)
※2023年4月現在
出身地:東京都(推測)
身長:183㎝
体重70㎏台
家族:父・母・兄・妻・娘
所属ジム:Yawara
【経歴】
小学生:ご飯を食べるのが大好きな動ける小太り、サッカーを始める
中学生:身長が180㎝に、サッカー部のキャプテンを務める
高校生:女の子と会話をすることなくラグビーに没頭する(全国ベスト16)
大学生:アメフトを始める、日本一のキッカーとなる
2011年:証券会社に就職、持ち前の努力で顧客をつかむ
アメフトのプロになるという夢を諦めきれず渡米しトライアウトを受ける
(結果は不合格)
2012年:キッカーとしてアメリカで研修を受ける
今後の生き方を考えた時に後悔したくない思いから会社を退職
2012年~2014年:アメリカでプロになるための日々(失敗に終わる)
2015年:キッカーの育成団体(Japan Kicking Academy)を起ち上げる
2016年:アメリカのコーチを招きイベントを開催(100人が集まる)
2018年・2019年:アメフトチームの専属コーチとなる
2020年:フリーのキックのコーチとして独立
コーチングのすばらしさに目覚めアメフトのキックに限らないコーチングを学ぶ
mindset coaching schoolを卒業し、より本格的なコーチングを始める
【ブレイキングダウン戦績】
【第二回ブレイキングダウン】
vs高田大輝選手
○2-1判定勝ち
【第三回ブレイキングダウン】
ミドル級トーナメント
一回戦 vsリンダマン選手
○3-0判定勝ち
準決勝 vs川島選手
○KO勝ち
決勝 vs井土選手
●1-2判定負け
【第四回ブレイキングダウン】
vs安井飛雄馬選手
●KO負け(腕ひしぎ逆十字)
5戦3勝2敗(1KO)
【第6・7回ブレイキングダウン】
オーディションの喧嘩を止める人として参戦
【ブレイキングダウン8に参戦しようとした理由】
ブレイキングダウン4が終わった後に格闘技にのめりこみすぎ、収入の激減、家庭の崩壊寸前まで
行ってしまい格闘技を抑えたがやっと落ち着いてきたのでまた戦いたい
このようにアメフトの世界で名の知れた丸田さん。
「棺桶の中でガッツポーズ取れるかどうかなんじゃないかな?」という一言を原動力になんにでもチャレンジするその姿勢は本当に見習いたいと思いました。
考え方ひとつ次第でたった4か月でこれまでやったことのない格闘技で結果を残す。
確かに元々の丸田さんのポテンシャルもあったかもしれませんが、短期間でこれを成し遂げたのは本当に凄いと思いました。
丸田喬仁さんの生きざまから学べることは多いのではないでしょうか。
是非コーチングしてもらいたいなと思いました。
そして、ブレイキングダウン8の本選出場が決まったなら今度はどんな強さを見せてくれるのかとても楽しみであります。
対戦相手など決まりましたらこちらに記載いたします。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
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