江角悠太(えすみゆうた)さんをご存じでしょうか?
地域のお荷物病院だった志摩市民病院を立て直した、若き院長のエピソードは2020年11月2日のNHK「逆転人生」
2022年8月25日放送のアンビリーバボーでも紹介されておりました。
実は江角悠太(えすみゆうた)さんの父親も医者なのですが、こちらも評判のお医者様であります。
その経歴についてと現在の二人について徹底調査しましたのでご紹介しようと思います。
江角悠太の父親は評判の医師
江角悠太(えすみゆうた)さんの父親は江角浩安(えすみひろやす)さんといいます。
がん研究において、評判の医者なのですが。
ここではその経歴についてご紹介しようと思います。
江角悠太の父親江角浩安の経歴について
江角悠太(えすみゆうた)さんの父親である江角浩安(えすみひろやす)さんは、1972年に名古屋大学を卒業後、岐阜県にある東海中央病院と外科医として勤務しておりました。
そして1975年に国立がんセンターの所長だった杉村隆先生に興味を惹かれそこに勤務し、がんの研究を8年半行います。
主に遺伝子分子生物学の研究をしていたようです。
その後は再び現場で臨床をやりたいと思い、また外科医として活動しようと思いましたが、さすがに研究を8年もやっていた自分が外科医に戻るのでは危なっかしいと思ったようで、皮膚科へと勤務。
がんの研究をしていたので、目の前で腫瘍が見られるのは都合が良かったということもあったようですね。
5年間勤務し、またがんセンターに戻り、その後は千葉県柏に立ち上げた新たながん研究の拠点である
国立がんセンター東病院の院長として、臨床と研究を続け、20年ほど勤務し、がんにおけるゲノム医療の基礎を築き上げました。
がん研究のスペシャリストなんですね。
親子そろって有名な医師だとは凄いですね。
そして、東京理科大学の教授として2年間勤務した後、2018年に息子の悠太(ゆうた)さんが院長をしている志摩市民病院に勤務することとなります。
では、現在の江角悠太(えすみゆうた)さんと父親である江角浩安(えすみひろやす)さんの関係についてと、何故志摩市民病院へ行くことになったのかをご紹介しようと思います。
江角悠太と父親の江角浩安との現在の関係について
江角悠太(えすみゆうた)さんの父親である江角浩安(えすみひろやす)さん。
現在は浩安(ひろやす)さんは志摩市民病院へ勤務しており、息子である悠太(ゆうた)さんとは院長と医師の関係であります。
では、何故江角浩安(えすみひろやす)さんは志摩市民病院へ勤務しようと思ったのでしょうか?
次ではその理由について紹介しようと思います。
江角浩安が志摩市民病院へ勤務しようと思った理由について
江角浩安(えすみひろやす)さんが志摩市民病院へ勤務した理由として挙げられるのが、一番に医師としての最後の勤務はもう一度患者のところに戻りたいという想いからでした。
これまで医師としての活動のほとんどをがんの研究という活動に費やしてきた浩安さん。
長い間臨床から離れていた自分ができることは限られている。
しかしこれまでの知識を活かし、また臨床にも役立たせるのなら医師の少ない病院がいいのでは?と思います。
もともと島根県の生まれで、帰ることも考えていたそうですが、浩安さんの生まれた地域では、大きな病院もあり、医師もたくさんいるようだったので自分は必要ないかと思っていたそうです。
そんな時に声をかけてくれたのが息子である悠太(ゆうた)さんでした。
浩安さんの思い描くイメージと志摩市民病院はぴったりであり、そこで勤務することを決意しました。
そもそも、悠太(ゆうた)さんに常日頃から「自分の人生は自分のものではない、人のために使いなさい」と言い聞かせてきた浩安さん。
そして、その教えを荒れていた高校生の時に実感し、志摩市民病院を立て直すことを決意した江角悠太(えすみゆうた)さん。
この二人が最後に交わるということは本人たちも想定はしていなかったと思いますが、交わるべくして交わったのでは?と僕は思います。
同じ志をもった二人でありますから、いつかはこうなることも必然であったのだと思えました。
この二人の親子の活動が全国へと広がり、日本の医療がよりいい方向へと進んでくれることを願うばかりです。
まとめ
ここまで地域のお荷物病院だった志摩市民病院を立て直した、若き院長江角悠太(えすみゆうた)さんの父親である江角浩安(えすみひろやす)さんについてご紹介してきました。
まとめますとこのようになります。
このようにがん研究の第一人者であった江角浩安(えすみひろやす)さんは、医師生活の最後は、患者のそばにいたいという想いから医師の少ない病院へ努めたいと考えておりました。
そこに息子の悠太さんからの誘いもあったのですが、志摩市民病院がその想いに合致していることから勤務することを決意します。
多くの人を助けたい。
同じ志をもった親子が同じ病院で働くことは、必然であり、運命であったのだと僕は思います。
今後も多くの患者を幸せにする活動を続けて欲しいとそう願います。
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