三重県の志摩市民病院を立ち直らせた若き院長「江角悠太(えすみゆうた)」さん。
実は高校時代はとてもやんちゃで荒れていたそうです。
そんな彼が立ち直ることができたのは小さい頃から聞かされていた家族からの言葉がきっかけだったそうです。
そして、その言葉が現在の江角悠太(えすみゆうた)さんの活動の原動力ともなっております。
そんな江角さんに影響を与えた言葉についてここでは取り上げてみようと思います。
江角悠太さんの荒れていた高校時代について
江角悠太(えすみゆうた)さんは東京都都立西高等学校を卒業しておりますが、 とてもやんちゃな高校時代を送っていたそうです。
警察に追われるような毎日で、学校を無期停学になったこともあったそうです。
金髪にガングロ、そんないで立ちで暴れまわっていた江角悠太(えすみゆうた)さん。
しかし、そんな彼が立ち直れたのは小さい頃から言われていた家族からの言葉がきっかけでありました。
次にはその江角悠太(えすみゆうた)さんが立ち直ることができた言葉についてご紹介しようと思います。
【江角悠太さん高校時代写真】
江角悠太さんに影響を与えた家族からの言葉について
高校時代やんちゃで無期停学となってしまうほどの悪さを働いていた江角悠太(えすみゆうた)さん。
そんな彼を立ち直らせたきっかけとなった言葉は、家族からの、父親である江角 浩安さんから小さい頃から言われていた言葉でした。
この言葉を3歳の頃から悪さをするたびに言い続けられてきたそうです。
しかし、言葉の意味を理解できなかった江角悠太(えすみゆうた)さんは小学生になると反抗期を迎えどんどん悪いことをするようになり、高校時代には手を付けられないほどになってしまいました。
そんな悠太(ゆうた)さんが立ち直ったのにはある一本の映画を見たことでした。
「パッチ・アダムス」という1998年のアメリカ映画なのですが。
ロビン・ウィリアムス主演で、男が精神科に入り、そこで知った患者との触れ合いから医療に目覚め、そして最終的には無料で診断を行う病院を設立し、多くの人を救うという映画なのですが。
これを見て江角悠太(えすみゆうた)さんは小さい頃から父親である江角 浩安さんからの言葉「お前の人生はお前のものではない 人のためにつかいなさい」という意味を理解したということです。
この日から医師への道を目指そうと決意した悠太さん。
ここから努力に努力を重ね、二浪をし、三重大学の医学部へ入学します。
前述しました通りやんちゃな高校時代を送り、勉強もしてこなかったのですから、これは並々たる努力ではたどり着けなかったと思います。
18歳の時には世界中の人たちを救いたいということを目標にそして大学を目指し、ついには入学してしまうのですから意思の強さは相当だと思いました。
その後も研修医時代に東北大震災を経験し、現地まで行き医師のいない地域で医療活動を行い、自分の進むべき道はこれしかないと確信したそうです。
そして最終的には志摩市民病院へとたどり着くのですが、地域のお荷物だった病院を、そして、たった一人の医師となってしまっても病院を立て直すために努力し、達成できたことは。
全て幼少期から父から聞いていた「お前の人生はお前のものではない 人のためにつかいなさい」という言葉が根底にあったのだと思わされました。
そして現在、その言葉を教え続けてきた父親江角 浩安さんも志摩市民病院で働いております。
同じ志をもった二人がこのように同じ職場で働くということが本当に素敵だなと感じました。
この活動を通して、日本全国の医療が変わり、そして最終的には江角悠太(えすみゆうた)さんが志す世界中の人々が救われるというそんな世界になって欲しいと心から思いました。
まとめ
三重県の志摩市民病院を立ち直らせた若き院長「江角悠太(えすみゆうた)」さんの荒れた高校時代とそれを立ち直らせた家族からの言葉についてここまで紹介してきました。
この記事をまとめますとこのようになります。
この言葉を3歳の頃から父である江角 浩安さんから聞かされてきた悠太さん。
しかし、言葉の意味を理解できず高校時代にはやんちゃな生活を送り無期停学となってしまいます。
そんな彼が立ち直るきっかけとなったのが1998年のアメリカ映画「パッチ・アダムス」でした。
精神科に入院し、患者との触れ合いから医療のすばらしさを知った主人公が、最終的に無料の医療活動で多くの人を救ったこの映画を見てこれまで聞いてきた言葉の意味を理解した悠太さん。
その後は必死に勉強し二浪して三重大学の医学部へと入学し、医療を志します。
そして、最終的には志摩市民病院を救い多くの患者さんを救うこととなるのですが。
その全ての原動力となったのは父である江角 浩安さんから聞かされてきた「お前の人生はお前のものではない 人のためにつかいなさい」という言葉だったんだなと感じさせられました。
今後も多くの人を助け、そしてこの活動がいずれは日本全国の人たちが、そして世界中の人たちが救われることにつながって欲しいと願っております。
ここまで読んでいただきありがとうございました。
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