2022年10月7日より公開されている映画「僕が愛したすべての君へ」と「君を愛したひとりの僕へ」
TikTokで話題となった原作小説を映画化した作品でありますが、どちらを先に見るかで印象の変わる作品であります。
実は僕はこの作品の原作を知りませんでした。
先日映画「七人の秘書」を見に行ったときにこの映画の予告を見てそこでこの作品を知りました。
そこで急に「この映画面白そうだ!見たい!」
という衝動にとらわれ映画を見たわけであります。
僕が見た映画の順番は「僕が愛したすべての君へ」→「君を愛したひとりの僕へ」の順番でありました。
その上で「結局どちらから見たほうが良かったのか?」についての僕の感想と、作品を通じて一番疑問に思った和音の本心についてを考察しております。
ネタバレを含んでおりますので映画を未見の方はご注意ください。
映画「僕愛」と「君愛」はどちらから見るのが良かったのか
2022年10月7日より公開となった映画「僕が愛したすべての君へ」と「君を愛したひとりの僕へ」
見る順番によって印象が変わるという触れ込みで公式からも発表されております。
「僕が愛したすべての君へ」→「君を愛したひとりの僕へ」の順番で見ると切ない気持ちに
「君を愛したひとりの僕へ」→「僕が愛したすべての君へ」の順番で見ると幸せな気持ちになれるということでありました。
どちらから見ようかと悩んでいる方も多いかと思いますが、結論から言いますとどっちから見てもいいんじゃないかなと僕は思っております。
見終わった後の自分の感じ方を素直に受け取り、こうだったんじゃないか?と自分なりの解釈を楽しむ作品だと僕は思っております。
そう言ってしまうと身も蓋もないのですが、僕が見た上での受け取り方、そして作品の解釈について書いていきますので参考にしてみてください。
この切ない気持ちになる、幸せな気持ちになれるというのは「どちらのヒロインに感情移入するかによって決まるのでは?」と僕は考えます。
僕は「僕が愛したすべての君へ」→「君を愛したひとりの僕へ」の順番で見たのですが、ある意味では幸せな気持ちに、そしてある意味では切ない気持ちになりました。
僕は黒髪ロングが大好きなので、栞の方にどちらかというと感情移入しておりました。
そのような感じであったので、「僕が愛したすべての君へ」を見たときに思ったことも栞のことでいっぱいでありました。
別世界の和音から来た手紙の内容。
その手紙の内容に合わせて流れた「君を愛したひとりの僕へ」のダイジェスト。
そしてラストで暦を助けたおばあちゃん。
えっ!これって栞なの?
でも髪色違うよね?
と、そんな感じで、栞のことで頭がいっぱいでありました。
ですから、その後に「君を愛したひとりの僕へ」を見た時に僕が感じたのは‥。
そうか‥。
栞と暦はちゃんと出会えてたんだな…。
本当に良かったよー(号泣)
という感じで幸せな気持ちでいっぱいになっておりました。
ただ、思ったのはこれは「君を愛したひとりの僕へ」→「僕が愛したすべての君へ」の順番で見たほうが良かったんじゃないか?ということでした。
映画を見た方はわかるかと思いますが「僕が愛したすべての君へ」の世界って結局は「君を愛したひとりの僕へ」の中で栞を救いたいという暦が選んだ世界ということですよね。
つまり時系列でいうと「君を愛したひとりの僕へ」→「僕が愛したすべての君へ」ということになります。
ですから、この順番で見たほうがより話の流れがよくわかり、ラストで受ける幸せな気持ちもいっぱいになる。
そこに気づいて切なさを感じてしまいました。
しかし、これは些細なことではあるので、結局幸せな気持ちになったことには変わりません。
ですから栞に感情移入した方に限っては
「僕が愛したすべての君へ」→「君を愛したひとりの僕へ」「君を愛したひとりの僕へ」→「僕が愛したすべての君へ」のどちらの順番で見ても結局は幸せな気持ちになれるんじゃないかなと思いました。
より幸せな気持ちになるのなら「君を愛したひとりの僕へ」→「僕が愛したすべての君へ」の順番で見るほうが良いという結論であります。
では、和音推しの方の場合だとどうなるのでしょうか。
実際に僕は栞推しではあるので想像になってしまいますが。
「僕が愛したすべての君へ」→「君を愛したひとりの僕へ」の順番で見た場合を考えてみると。
幸せな人生を送った和音と暦。
しかし、その裏には二人の幸せな人生を送った世界というのは、暦が愛した一人の女性を救うために選ばれた世界であったということで切ない気持ちになるのかと思います。
では、「君を愛したひとりの僕へ」→「僕が愛したすべての君へ」の見た場合を考えてみたのですが、果たして幸せな気持ちになれるでしょうか?
暦の心の奥底には栞が存在しているということには変わりません。
「僕が愛したすべての君へ」の最後に暦が和音に対してこう言います。
確かに暦は今幸せだと言っております。
しかし、これは暦が栞の記憶を失っているからであり、そこは映画を見ている方々もわかっていると思います。
そう考えるとこのセリフもどこか空虚なものに感じてしまうのですよね。
結局和音推しの方にとっては「君を愛したひとりの僕へ」→「僕が愛したすべての君へ」の順番で見たとしてもなんか腑に落ちないちょっと切ない気持ちになってしまうのではないだろうかと考えました。
しかし、作品を見終わってじっくり色々と考えたのですが、和音の行動や本心って色々と謎めいているのですよね。
和音の本心や行動を僕なりに想像したのですが、その想像の行きつく先にとんでもない和音ハッピーエンドの可能性を見出しました。
そのハッピーエンドの可能性を考えた場合、やはり見る順番は「君を愛したひとりの僕へ」→「僕が愛したすべての君へ」で見たほうがよりハッピーになれると考えました。
では次に和音の本心や行動について考察するとともに和音ハッピーエンドの可能性について紹介しようと思います。
和音の本心についての考察
2022年10月7日より公開されている映画「僕が愛したすべての君へ」と「君を愛したひとりの僕へ」
「僕が愛したすべての君へ」の世界は暦が栞を救うために作り出された世界であり暦の心の奥底には結局栞がいるということで、和音が報われたのだと心から喜べるものではありません。
しかし、僕は逆にこう考えました
暦が栞を助けるために選んだ世界ではあるのだが
結局は和音が作りあげた世界なのでは?
と、これだけ聞いただけではなんのこっちゃと思うでしょうが、僕はこう考えております。
「僕が愛したすべての君へ」の和音は
「君を愛したひとりの僕へ」の記憶を全て引き継いだ和音ではないのか?
そんな馬鹿なと思われるかと思います。
暦が見つけ出した栞を救う方法は、暦と栞が出会わない世界まで戻るということでした。
しかし、その方法は全ての記憶を失ってしまうというというものでした。
確かにその時点ではそうだったのかもしれません。
しかし、暦がタイムリープして脳死状態となってしまったその後、和音は研究を続け記憶を保持したままタイムリープする方法を見つけ出したのではと僕は考えます。
そのように考えると和音の行動に謎の多かった部分に対しても説明がつきますし、そして「僕が愛したすべての君へ」の世界は全て和音が望んだ世界であったということがわかります。
和音が望んだ世界。
つまり、愛している暦と幸せになれる世界。
それが和音の願いであったと僕は考えます。
「君を愛したひとりの僕へ」の世界でその想いは明らかにはされておりませんが、しかし、和音が暦を愛していたことは明らかであります。
しかし、栞に対してのまっすぐな気持ちを見るにつれて押し殺してきた自分の感情。
それらは「僕が愛したすべての君へ」においての和音の行動からわかるかと僕は考えます。
では、詳しく説明していこうと思うのですが、まずは僕が謎に思っていた和音の行動や本心なのですがこちらになります。
これらの行動に対して、先ほどの僕の「僕が愛したすべての君へ」の和音は「君を愛したひとりの僕へ」の記憶を全て引き継いだ和音であるという仮定を当てはめて説明しようと思います。
暦との出会いで言った85番目の世界から来たという発言
「僕が愛したすべての君へ」での暦と和音の出会いは、ある日突然見知らぬ少女和音から暦に話しかけたことでした。
そこで語られた「自分は85番目の世界から来て前の世界では恋人同士であった」
という話ですが、これは作中では主席を和音に譲った暦に腹立ちを覚えて仕掛けたドッキリであったということになっております。
しかし、ここに「僕が愛したすべての君へ」の和音は「君を愛したひとりの僕へ」の記憶を引き継いだ和音であるという仮定を当てはめるとしっくりくるのではと思いました。
85番目の世界から来たという設定にも真実味が出て来るのですよね。
事実そうなのですから。
また、和音はこう言っておりました。
前の世界の暦はとても男らしい人であったと。
それって思い返しても「君を愛したひとりの僕へ」の世界で栞を救うために必死になっていた暦そのものであったとも思えます。
つまり、ドッキリという設定にはなってはおりますが、どう考えても和音の話す内容は「君を愛したひとりの僕へ」の世界での暦なんですよね。
でも、恋人同士ではなかった、と思う方もいるかと思いますが、これも和音の作戦であったと考えたらどうでしょう。
恋人同士だったと言うことで暦が何か意識してくれるかもしれないとそう考えたかもしれません。
事実その日以来暦は和音を意識することとなりました。
しかし、和音は暦からの告白をずっと断ってきました。
そして、大学に入学してからいきなり和音から暦に「付き合って」と告白します。
それは何故なのか次はそのことに考察しようと思います。
なぜ暦の告白を何度も断っていたのに自分から告白したのか
和音は高校時代、暦から何度も告白されておりますが全て断り、そして大学生となった時に和音自ら付き合ってと暦に告白します。
それは何故なのでしょうか?
普通に考えればあくまで暦に話しかけたのは仕返しだったので恋愛感情はなかった。
しかし、暦と一緒に過ごすうちに恋愛感情が芽生えてきたとそう考えるのが妥当なのかと思います。
しかし、ここに「僕が愛したすべての君へ」の和音は「君を愛したひとりの僕へ」の記憶を引き継いだ和音であるという仮定を当てはめた時に違う見え方がでてくると僕は考えました。
いったんは暦に自分の存在を意識させることを成功させた和音でありましたが、しかしもう少し様子を見たかったのだと僕は考えます。
前の世界の記憶をもったまま別の世界のそして人生をやり直す。
これは和音にとっても初めての経験。
暦と栞は出会うはずのない世界なのだが、記憶を引き継いだ自分が入り込むことで世界が変わるのでは?と危惧し、うかつには暦の告白にOKすることもできなかったと僕は考えます。
そして、何年か過ごすうちに自分が知っていた世界とは明らかに違うということがわかり、栞の存在についても現れることがないと確信できた大学生となった時に告白したのではないでしょうか。
このように「僕が愛したすべての君へ」の和音は「君を愛したひとりの僕へ」の記憶を引き継いだ和音であるという仮定を当てはめると和音の本心や行動が明らかになると僕は考えました。
しかし、矛盾点も出てきますよね。
「僕が愛したすべての君へ」の和音は「君を愛したひとりの僕へ」の記憶を引き継いだ和音であるということなら君愛の和音が僕愛の和音あてに書いた手紙についてどうなるんだろうと思いました。
次はそのことについて説明しようと思います。
どうして和音は別世界の自分とコンタクトを取ったのか
「僕が愛したすべての君へ」の和音は「君を愛したひとりの僕へ」の記憶を引き継いだ和音である。
この仮定を思いついたときに一番悩んだのがこの君愛の和音から僕愛の和音に送られた手紙のシーンの解釈でした。
もし、「僕が愛したすべての君へ」の和音が「君を愛したひとりの僕へ」の記憶を引き継いだ和音であるのなら、メッセージを送る必要はないんですよね。
記憶を引き継いだ和音は「君を愛したひとりの僕へ」の事を全て知っているわけですから、そのことを伝える必要はないはずです。
では、このシーンが発生する状況なのですが、単純に考えますと暦から聞いた栞との約束の話。
しかし、記憶の亡くなった二人にはその約束が果たせるかどうかわからない状態でありました。
そこで、暦の願いを叶えたいと思った和音が起こした行動であると考えられます。
そして、コピーしたアクアマリンの指輪を暦に見せていることから、決行されたのは暦から約束の話を聞いて、暦が脳死となるその間であったことは間違いありません。
すなわち僕が考えているのは脳死した後に暦の肉体やデータを研究した結果生まれたのが記憶を保持したままのタイムリープであると考えておりますので。
この手紙を送る行動をとった時点では、まだ和音自身がその世界へタイムリープするとは考えていなかったと思っております。
しかし、その後記憶を保持したままタイムリープする方法を見つけ出し行動に移した。
だから、この手紙を受け取った和音は実はすべてを知っていたと僕は考えます。
そう考えたほうが僕的にはしっくりくるのですよね。
考えてもみてください。
いきなり、自分の知らない世界の自分からメッセージを受け取って実はあなたの愛した男は別の世界で愛する女がいて、その子を救うためにその世界に行ったのだと伝えられたのです。
それを果たして受け入れられるでしょうか?
約束の日を迎えた暦に対して、行くかどうかを迷っていた暦に対して「行ってみたら」と送り出すことができただろうか?
と僕は思いました。
しかし、この和音が「君を愛したひとりの僕へ」の記憶を全て持った和音であったとしたら、暦の栞に対する想いを目の前で見てきたのですから、その後押しをすることも自然な事であると思いました。
ある意味これは和音の賭けであったと僕は思います。
結果的に自分が作り上げたこの世界ではあるが自分の望みは全て叶った。
しかし、暦はどうなのだろう?
私は、暦の記憶がないことをいいことに自分の都合のいいようにこの世界を作り上げてしまったのでは?
と、葛藤してもおかしくはないと僕は考えました。
そこで、暦を送り出し、そこで何かが変わってしまうのならそれも仕方がないこと。
だって、それは暦の本当の願いでもあるのだからと思っていたのかもしれません。
しかし、結果的には暦は幽体である栞と、そして「僕が愛したすべての君へ」の世界で生きていた栞とも再会したうえで和音のもとに帰ってきました。
そして前述のセリフを和音に向って言ったのです。
ここでこのセリフを受け止めた和音が「君を愛したひとりの僕へ」の記憶を引き継いだ和音であると仮定したら全てが報われた瞬間ではないでしょうか。
和音が結果的に作り出してしまったこの世界を暦も幸せだと思っていてくれた。
それは和音にとってのハッピーエンド。
それが「僕が愛したすべての君へ」のストーリーの僕の解釈であります。
結局は和音推しの方でも「君を愛したひとりの僕へ」→「僕が愛したすべての君へ」の順番で見れば幸せになれるのだと僕は考えます。
まとめ
2022年10月7日より公開されている映画「僕が愛したすべての君へ」と「君を愛したひとりの僕へ」
見る順番によって感じ方が変わってくるといわれている映画ですが。
どのような順番で見るのがいいのかを僕なりの感じ方と解釈でここまでご紹介致しました。
結局はどちらのヒロインを推すかで作品を見る順番での感じ方も変わると思いました。
まとめますとこのようになります。
と最初に見たときにはこのように感じておりました。
なんだか和音が報われない話だなと思い、色々と考えたのですが‥。
「僕が愛したすべての君へ」の和音は「君を愛したひとりの僕へ」の記憶を引き継いだ和音であるという仮定を当てはめると和音のハッピーエンドが現れると思いました。
このようにこの作品はそれぞれの人に見終わった後の感じ方、そして解釈の仕方が存在すると僕は思います。
ここまで紹介してきたことはあくまで僕の考察と言う名の妄想であります。
しかしながら、これらを考えることによって物凄く楽しくて充実しております。
皆さんも好きな方から見てそして感じたこと解釈を自分なりに考えて、色々な意見を作品を見た人とかわすのが楽しいんじゃないかなと僕は考えます。
ですから僕のここまでの意見を読んだうえで感じたことを皆さんからも聞いてみたいですね。
とりあえずは原作の方が未読なので読んでみようと思います。
その上で公開と同時に刊行された「僕が愛したすべての君へ」の世界での栞を描いたスピンオフ作品である「僕が君の名前を呼ぶから」も読んでみようと思っております。
そこで今回とまた違う解釈が生まれた時にはこちらの記事に追記または、改めて記事化してみようと思っております。
個人的にはとても大好きな作品であり、とても感動した話であります。
正直映画館で号泣しておりました‥。
このような素敵な作品に出会えてとても感謝しております。
ここまで読んで頂きありがとうございました。
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