さとう宗幸さんをご存じでしょうか?
かつて、「青葉城恋唄」というヒット曲で大人気となった歌手であります。
現在も仙台を拠点として司会者などをやっておられ、仙台では知らぬ人はいないといわれる人なのです。
全国的にヒットした「青葉城恋唄」をご存じの方でしたら知ってる方もいるでしょうが、若い人にはわかる方は少ないかもしれませんね。
でもこの曲、実は、2つの震災に関わっていたり、ある漫才師のテーマ曲に使われたりと意外なところに関係があったりもします。
ここでは、さとう宗幸さんの気になる現在の年収、また、ヒット曲となった「青葉城恋唄」について徹底調査した結果を紹介しますね。
さとう宗幸のwikiプロフィール経歴
まずはさとう宗幸さんのプロフィールや経歴についてwiki風にまとめてみましたのでご覧ください。
2才の頃に岐阜県可児市から家族と共に、宮城県古川市に転居したさとう宗幸さん。
今や仙台の顔と言われる方もルーツを辿ると岐阜県にあったのは意外でした。
東北学院大学経済学部を卒業しており、主な卒業生には山寺宏一さん(声優)、大友康平さん(歌手)、鈴木京香さん(女優)などがおります。
早々たるメンバーが卒業生に名を連ねております。
その中でも大先輩にあたるのですね。
在学時のエピソードなんかも気になるところです。
現在73才ですが、精力的に活動しております。
さとう宗幸の現在の年収
さとう宗幸さんの年収について色々調べてみたのですが、詳しい金額については公表はされていませんでした。
確かに公表されない方も多いですよね。
では、そこで年収について推察してみようと思います。
さとう宗幸の現在の活動から年収を推察
さとう宗幸さんは仙台を拠点として現在も活動中です。
1995年~現在まで、およそ27年もの間、仙台の情報ワイド番組「OH!バンデス」の司会を務めており、仙台の顔となっております。
地方番組のテレビ出演のギャラは中央に比べれば安いと聞きますが、「OH!バンデス」は月曜から金曜までの週5日放送
仙台では知らない人はいないというほどの知名度ですから、そんじょそこらの地方タレントよりは、ギャラも高いはず。
地方テレビのギャラは1万円いかないこともあると言われてますから、仮に2万円として
2(万円)×5(日)×52(週)=520万円
という、計算になります。
もし、半分の1万だとしても260万円。
それに年金や、もしかしたらこれまでのヒット曲の印税などもプラスされるかもしれません。
大体300万円~600万円あたりなのでは?
と推察致します。
もっと、もらっているかもしれないし、実はもっと少ないかもしれません。
色々想像は膨らみますね。
さとう宗幸のヒット曲「青葉城恋唄」について
さとう宗幸さんの代名詞とも言われる
ヒット曲「青葉城恋唄」
1977年に自身がDJを務めるラジオ番組から誕生したこの曲は、翌年1978年に発売され110万枚を売りあげて数々の賞を受賞致しました。
受賞した賞を上げますと
・日本有線大賞 最優秀新人賞
・第7回FNS歌謡祭 最優秀新人賞
・第20回日本レコード大賞
新人賞
・第20回日本レコード大賞
最優秀作詩賞
と、この年だけでこれだけの賞を獲得しております。
現在でも仙台の七夕まつりには必ず流れていたり、駅のホームなどでも流れております。
まさに仙台のご当地ソングですね。
また、色々な人がカバーしており、その中には演歌の大御所から意外なところではラッパーまで名を連ねております。
では、なぜこの「青葉城恋唄」はここまで人々に愛されているのでしょうか?
ここでは、その理由について調査し、考察していこうと思います。
美しい歌詞と歌声
この歌の魅力のひとつとして挙げられることが。
その素敵な歌詞にあるのではと思います。
仙台市の景色を見渡し、今はいない愛する人を想うというとても切ない歌詞となっております。
・「広瀬川流れる岸部」
・「七夕飾りは揺れて」
・「青葉通り薫る葉緑」
このような仙台市の風景を見渡し、愛する人との思い出を振り返り懐かしむその歌詞からは仙台市の美しい情景が目に浮かぶようです。
そして、最後に「あの人はもういない」と結ばれていることから。
愛する人はもういないということがわかります。
そしてその美しく切ない歌詞を、さとう宗幸さんの優しい歌声がさらに引き立たせます。
聞くたびに、涙があふれそうになってしまう(´;ω;`)
歌詞の内容からはとても悲しい歌なのですが
さとうさんの優しい歌声から、「悲しいけれど頑張っていこうよ」というメッセージが伝わってきて、何だか勇気をもらえるような感覚になります。
これが、多くの人を引き付けたこの曲の魅力の1つではと僕は考えていますが
いかがでしょうか。
被災者の心を癒した名曲
2つ目の理由として挙げられることは、この曲が震災による被災者の励ましとなったことです。
2011年3月11日「東日本大震災」は記憶に新しいことと思います。
その時もさとう宗幸さんは復興のために、自らがMCを務める「OH!バンデス」でも震災について何度も取り上げ。
各地を巡り「青葉城恋唄」を歌い被災者の心を癒してきました。
そして、この曲が発売された1978年にも宮城県を襲った大地震があったことをご存じでしょうか?
1978年6月12日17時24分、マグニチュード7.4(震度5)の地震を仙台市を襲いました。
死者、重軽傷者合わせて1万人以上、家屋は倒壊し、インフラの復旧にも1ヵ月以上かかりました。
その間もこの曲は被災者たちを癒し、そして後押しとなり全国区へと広がり結果的に大ヒットとなりました。
歌詞を見ると、被災者が過去の悲しみを思い出してしまいそうなこの曲ですが、さとうさんはそこに「ひとりじゃないよ」と寄り添う気持ちを込めて歌っているそうです。
その気持ちが被災者の方達にも伝わり、こんなにも多くの人に愛されているのではと僕は考えます。
色々な人達にカバーされた名曲
このように数多くの人たちに愛されてきた「青葉城恋唄」ですが、これまでに数多くの人達にカバーされてきています。
五木ひろし、石川さゆり、加山雄三、島倉千代子、新沼謙治、フランク永井、八代亜紀、サザンオールスターズ(桑田佳祐)さん等他にも総勢で20人以上の方が歌っております。
また日本国内だけでなく、香港・台湾・中国・パラグアイ・アメリカ・フランスなど、世界各国でも歌われてました。
その中でも目を引いた人がいます。
CUZSICK(カズシック)さんという方なのですが、この方は宮崎県在住のラッパーです。
なんとこの方、「青葉城恋唄」をラップ調に現代風にアレンジしております。
「青葉城恋唄21」というタイトルで発売されたこの歌
原曲の影も形もありませんが、愛する人を想って仙台の街並みを見渡すというテーマは変わらず、さとう宗幸さんも「フォークソング世代である自分達にも受け入れられる」と公認しているそうです。
それにしてもこんな形でカバーされちゃうなんてびっくりした。
でもカッコいいな…。
意外な形で生まれ変わった「青葉城恋唄21」ですが実は意外なところで流れてたりします。
サンドイッチマンの入場曲に
M-1でも優勝した「サンドイッチマン」はご存じでしょうか?
連日テレビにも出てる二人組ですからご存じの方も多いと思います。
実はこの二人が漫才をやるときに登場する音楽にこの「青葉城恋唄21」が使われているのです。
サンドイッチマンの「伊達みきお」さんと「富沢たけし」さんの二人も仙台出身。
こんなところでつながっていたとは驚きですね。
このように数多くの人達に愛されてきた「青葉城恋唄」は意外な所でも形を変え、私達の身近にあり続けていたのです。
本当にいろんな人から愛された曲なのだなと感じました。
さとう宗幸の年収やヒット曲「青葉城恋唄」まとめ
ここまでさとう宗幸さんの年収やヒット曲「青葉城恋唄」について調査し、考察してきました。
さとうさんの年収は公表されてませんが、夕方の月曜日から金曜日まで、夕方の報道ワイドのMCを務めており、年金やヒット曲の印税等で、恐らくは300万~600万ぐらいではと予想致しました。
また、さとう宗幸さんの代名詞ともいえるヒット曲「青葉城恋唄」について「何故こんなにも愛されているのだろう?」ということを考えた時に思ったことなのですが。
この歌は愛する人を失い仙台の街並みを見渡し、その人との思い出を振り返るという歌であります。
歌詞から感じられる仙台の美しい街並み、そして愛する人を失った悲しみは、胸が張り裂けそうになってしまいます。
しかし、さとう宗幸さんの美しい歌声が合わさることで、その悲しげな世界観がとても優しい空気に包まれるような気持になりました。
そして、それが心地よくて、何回も聞きたくなるのでは?と僕は感じました。
そして、2度の震災を経験し、その度に被災者の方々の心を癒し、復興の後押しとなったこともわかりました。
地震で被災された方々も、さとうさんが寄り添う気持ちで歌ったこの歌にやはり悲しみも感じたのでしょうが、多くの方が安らぎや前に進む勇気をもらえたのだと信じたいです。
また、多くの人にそして世界各国でカバーされた名曲でありました。
そして、名曲は宮城県在住のラッパーの手でラップ調へと形を変え、聞いたときはガラッと変わってしまった雰囲気に戸惑いも感じました。
しかし、原形をとどめなくとも、その根底にある郷土愛は変わらず受け継がれていると感じられました。
また、その曲がサンドイッチマンの漫才での登場の音楽として使われていたことも驚きでした。
サンドイッチマンの二人も仙台出身。
意外なつながりに驚きもありましたが。
仙台の人たちには本当に特別な歌なのだと感じ、こんなにも愛されている歌ということに感動を覚えました。
多くの人から愛されている「青葉城恋唄」
今後もずっと歌い続けられる名曲であると僕は信じております。
さとう宗幸さんの今後のご活躍をお祈り申し上げます。
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