演歌歌手「小金沢昇司(こがねさわしょうじ)」さんが亡くなったと報道がありましました。
11日午前2時30分、呼吸不全のため神奈川県内の医療機関で亡くなったそうです。
若い頃は北島三郎さんのお弟子さんで、やはり記憶に残っているのが「フィニッシュコーワのCM」の歌手の小金沢君でしたね。
当時は「歌手の小金沢って誰?」なんて思っていたこともいい思い出であります。
ところで小金沢昇司さん、若い頃は北島三郎さんに弟子入りするまでは実家のラーメン屋(中華料理店)で働いていたそうです。
そこでここでは小金沢昇司さんがデビュー前に働いていた実家のラーメン屋について調査して見ました。
店名や店のあった場所や2024年現在そこには何があるのかを小金沢昇司さんが働いていた当時のエピソードも交えながら紹介したいと思います。
小金沢昇司が若い頃働いていた実家のラーメン屋の店名や場所について
小金沢昇司さんが若い頃に働いていた実家のラーメン屋(中華料理屋)さんの店名は「八起(やおき)」といい神奈川県大和市にありました。
こちらが小金沢昇司さんが若いころ働いていた実家のラーメン屋さんの場所となります。
店名の八起というのは小金沢昇司さんのお父様が七転び八起きからつけたということであります。
では2024年現在この場所はどうなっているのかをご紹介いたします。
小金沢昇司が若い頃働いていた実家のラーメン屋現在どうなっている?
小金沢昇司さんが若い頃働いていた実家のラーメン屋の場所は2024年現在どうなっているかを調査してみました。
2024年現在、小金沢昇司さんが若い頃働いていた実家のラーメン屋の場所はこのようになっております。
2024年現在は居酒屋&ガールズバーのお店となっているようであります。
(店名:ペルルPHOENIXDARTS)
元海軍で料理を覚えた小金沢昇司さんの父親である昇さんが建設業などいくつかの仕事を経てからオープンした中華料理店八起。
高度経済成長という時代背景もあり大繁盛していたそうです。
しかし、小金沢昇司さんさんが若い頃店舗は全焼していまいその後立ち直るも小金沢昇司さんが31歳の時にお父様は亡くなり。
以後は母親である正子さんが店を切り盛りし70歳を過ぎるまで店舗を営業させていたそうです。
2024年現在は違う店舗となってしまっている小金沢昇司さんが若い頃働いていた実家のラーメン屋さんのあった場所ですが。
次はその頃のエピソードについてご紹介いたします。
小金沢昇司が若い頃実家のラーメン屋で働いていたころのエピソードについて
若い頃から歌手志望だった小金沢昇司さんは家業を継ぐために調理師免許を取得しましたが。
両親に上京して料理修行をすると嘘を言って新宿・歌舞伎町のクラブの調理場で働きながら、音楽の専門学校に通っておりました。
しかし、ある日実家のラーメン屋さんが全焼してしまいます。
悔しがる父の姿をみて歌手になることをあきらめた小金沢昇司さんは地元に帰り実家のラーメン屋さんの支店で働くことに。
そのまま家業を継ぐつもりでいた小金沢昇司さんでしたが、ある日お父様である昇さんが
「もう大丈夫だ。お前は自分の道へ戻れ」と後押ししてくれたのだそうです。
それをきっかけに再び上京した小金沢昇司さんは新宿コマ劇場で北島三郎さんの大きな看板を見つけそこから弟子入りをしたそうです。
お父様の後押しがあったからこそデビューできたのですね。
小金沢昇司が若い頃働いていた実家のラーメン屋についてまとめ
ここまで小金沢昇司さんが若い頃働いていた実家のラーメン屋さんについてご紹介してきました。
まとめますとこのようになります。
このように名前の由来となった七転び八起きのように店の全焼という危機をのりこえ36年間も続いていた小金沢昇司さんの実家の店舗。
まさに小金沢昇司さんの原点であると言っても過言ではないのではないでしょうか。
しかし、2024年八代亜紀さんに続いて大物演歌歌手の訃報が続いており本当に残念であります。
今はただご冥福をお祈りしたいと思います。
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
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