ブレイキングダウン12の本選出場が決定しているお笑い芸人こゝろ(こころ)の荒木さん。
中学時代はヤンキーだったということで話題になっております。
ここではそのこころ荒木さんの出身中学について調査した上で、中学校時代のヤンキー時代のエピソードについても紹介したいと思います。
相方の山出谷(やまでや)さんとも中学は一緒だったのか?
芸人になってから乱闘騒ぎとなった塚原さんとの因縁の真相についても調査してみましたのでご覧ください。
こころ荒木の出身中学はどこ?
こころの荒木さんの出身中学は調べてみましたが公表されておりません。
そこで調査してみたのですが
荒木さんの出身地は大阪府堺市であります。
荒木さんの出身地大阪府堺市の中学校数は全区を合計すると43校に上ります。
さすがに数が多いのでさらに絞ってみようと思い調査して見ました。
相方の山出谷(やまでや)さんの出身地は岸和田です。
こころ荒木さんは、岸和田の中学校の人たちとも友達のようなので岸和田に隣接している南区の中学校に通っていた可能性が高いと考えられます。
区で見ると、堺市の中で南区が岸和田とも隣接しており、中学校の数も9校と最も多いです。
堺市南区の中学校はこちらの9校です。
もしかするとこの中の中学校のどれかだった可能性はあるかと思います。
これらについて何かわかりましたら追記します。
こころ荒木と相方山出谷(やまでや)は一緒の中学なの?
では次に相方の山出谷さんの出身中学校についても一緒だったのか調査してみました。
年齢は同じでも二人は別々の中学を卒業しています。
さきほどもお伝えしましたが、荒木さんの出身地は堺市、やまでやさんは岸和田市出身で、堺市と比べると小さな区です。
岸和田市には中学校が11校しかないとやまでやさんが語っていました。
そして堺市の男子学生はギャル男、サーフ系のファッションが特徴で荒木さん自身も中学生時代は有名なギャル男だったそうです。
岸和田は黒髪短髪ダボダボのズボンピッチピチのシャツが定番だったと山出谷(やまでや)さんが語っておりました。
そんな堺市と岸和田の中学生は犬猿の仲でいつも喧嘩をしていたとのことです。
こころ荒木と相方山出谷(やまでや)の出会いについて
では次にこころ荒木さんと山出谷(やまでや)さんの二人の出会いについて紹介いたします。
二人は中学時代はまだ出会っておりませんでしたがお互いの存在を噂では知っていたそうです。
荒木さんと山出谷さんはお互いが噂でお互いのことを「面白い奴がいる」と聞いていたということです。
それだけ二人が有名だったんですね
お互い出会うのは運命だったのかもしれません。
中学時代までは喧嘩に明け暮れ、同じような生き方をしておりましたが、ここから二人は正反対の人生を歩んでいきます。
二人の中学卒業後の生き方についてまとめてみました。
このように対照的な人生を歩んできた二人を引き合わせたのは一人の人物でした。
山出谷さんは一番仲が良かった親友岩井さんから山出谷さんと同じ大阪府出身の荒木さんが東京にいることを教えてもらいました。
岩井さんは荒木さんの中学の番長だったそうです。
親友岩井さんのはからいで山出谷さんと荒木さんは連絡を取り合い電話を切った30分後には「赤坂の喫茶パンジー」にいたとのこと。
「3時間しゃべってちゃんとした友達になった」と語っていました。
こころ荒木と相方山出谷(やまでや)の芸人になるまでの経緯
ちゃんとした友達になった二人は一緒に海に行ったり、朝までクラブで遊び明日の事など考えてなかったそうです。
そして、ある日山出谷さんが「芸人になりたい」と告白します。
すると荒木さんが「俺も芸人になりたい思ってた」と意気投合し、次の日荒木さんは会社を辞めました。
芸人になるため二人は当初、吉本興業のNSCに入ろうとしましたが、荒木さんが入学金の「40万円」を工面できず、ローンが組める「ワタナベエンターテインメント」に変更。
その4年後に「こころ」が誕生しました。
こころ荒木のヤンキー時代のエピソードまとめ
荒木さんのヤンキー時代のエピソードをまとめます。
このように中学時代は喧嘩は弱かったというこころ荒木さん。
ではこの中の伝統の刺繍服のエピソードと喧嘩のルールがちょっとおもしろかったので詳しく説明しますね
こころ荒木のヤンキー時代のエピソードまとめ ①伝統の刺繍服
ヤンキーの伝統の刺繍服は先輩に認めてもらえた後輩が受け継いで着ることができます。
荒木さんは今も刺繍服を着ています。
その刺繍服をペンでつつきながら相方の山出谷さんは「代々受け継がれる服なのに今着てるのはおかしいやろ?」とつっこみます。
荒木さんは後輩に伝統の服を譲らなかったのでしょうか?
すると「自分で作った刺繍服だから譲らなかった」と答えた荒木さん。
荒木さんは先輩から伝統の刺繍服を譲ってもらえなかったので自分で作ったようです。
それを聞いた山出谷さんは苦笑いをしていました。
こころ荒木のヤンキー時代のエピソードまとめ ②喧嘩のルールについて
次に荒木さんのヤンキー時代のエピソートで「喧嘩のルール」がおもしろかったのでご紹介します。
荒木さんのヤンキー時代の喧嘩のルールは、最初にライターを投げて地面に落ちたらけんかがスタート。
どちらかが「ギブ」というと終わりだったそうです。
けんかが終わると「握手」をします。
終わったら仲良くなり「どこ住んでるの?」などと聞いて連絡を取り合うようになるそうです。
そして、周りの人たちは喧嘩中
「いけー」「やれー」「沈めろ」と野次をとばしますが、終わったら敵のチームに行って「冷やしときや」と優しく声をかけるのだとか。
なんかある意味スポーツマンシップにのっとった競技みたいな…。
ヤンキーの本質はとても優しい子ばかりだったのですね。
また芸人になってからも過去のヤンキーっぷりを思わせるエピソードを発見しましたのでご紹介いたします。
荒木ヤンキーエピソードまとめ ③「ぜにいたち」で塚原と乱闘
2024年3月27日ABEMAで放送されたお笑いコンビかまいたちの番組「ぜにいたち」#65では
荒木さんのヤンキー魂に火が付き芸人塚原さんと大乱闘になっていたことが放送されていたのでご紹介します。
「ぜにいたち」#65で放送された内容はは未来の“M-1芸人”を輩出すべく開催された「バリバリ漫才塾」の第2弾です。
『M-1グランプリ』決勝に4年連続で進出し、出場資格を失ってからも“M-1愛”が強いお笑いコンビ・スーパーマラドーナがヤンキー漫才の極意を伝授すると内容になっておりました。
主に武智さんが指導を担当しています。
この番組でこころ荒木さんがかつてヤンキーであったことを思わせるようなエピソードが起きたのですが、まとめるとこのようになりますのでご覧ください。
このようにマラドーナ武智さんに対する態度が悪いと塚原さんに「敬語使えや!グラサン取れや!」と向かっていった荒木さん。
そのまま番組内で乱闘となりました。
乱闘が始まると、番組のMCを務めるかまいたちの濱家さんは「あんな大きなヤツに向かっていくのがすごいな、荒木」と感心していました。
荒木さんは「スーパーマラドーナさんは先輩やろ!先輩になにナメた態度とるな」と無礼な態度に怒り心頭でした。
荒木さんと武智さんは大阪でヤンキーとしての先輩と後輩の関係で、一緒に飲みに行く仲です。
荒木さんは自分が尊敬する先輩に敬語を使わずニヤニヤしていた塚原さんが許せなかったのでしょう。
さすが先輩思いの上下関係を重んじる義理人情のある方だと感じました。
中学生時代は負け続けていたけど喧嘩ばかりしていたというのも喧嘩が好きということもあったのかもしれませんが
義理人情に熱い荒木さんですから友人のために喧嘩したりということもあったのかもしれませんね。
こころ荒木の出身中学・ヤンキー時代エピソードについてまとめ
ここまで中学時代はヤンキーだったというお笑いコンビ「こゝろ」の荒木さんの出身中学ややんちゃしていた時代のエピソードについてご紹介してきました。
まとめますとこのようになります。
このように想像以上にヤンキーであった芸人コンビ「こゝろ(こころ)荒木」さん。
ケンカは弱かったということですが、ブレイキングダウンで見せたスパーリングはなかなかの腕前だったのではないでしょうか。
【詳細はこちら】
ブレイキングダウン12の本選で戦う相手はバリバリの格闘家の阿部泰斗さんということで、なかなか厳しい戦いとなりそうですが。
それでも持ち前の根性で乗り切ってしまうのではないかと思っております。
人気コンテンツブレイキングダウンに出場ということで今後芸人としても注目されていくと予想されます。
芸人コンビこゝろ(こころ)及び荒木さんの今後の活動にも注目ですね!
それでは最後までお読みいただきありがとうございます。
コメント