昭和の歌姫の一人である八神純子さん
1958年1月5日生まれの65歳でありますが、年齢を感じさせない見た目と歌声で今も変わらない姿をテレビで拝見することができます。
ところで八神純子さんの若い頃が凄かったという事をご存じでしたでしょうか?
とてもかわいくしかもお嬢様で天才少女であったという八神純子さん。
若い頃の姿とその華々しい経歴についてここでは紹介しようと思います。
八神純子の若い頃が凄かった
現在も年齢を感じさせない容姿と歌声を披露している八神純子さんの若い頃の凄さについてご紹介していこうと思います。
可愛らしい容姿、お嬢様であり天才少女であった経歴など順番にご紹介していきます。
八神純子の若い頃が凄かった ①かわいい容姿
ではTwitterから見つけました八神純子さんの若い頃の画像についてご紹介致します。
とても若々しく可愛らしい八神純子さん。
現在の画像と見比べてみました。
若い頃も可愛く綺麗でありますが、現在はさらに洗練されていてとても綺麗ですよね。
顔のツヤなどとても65歳であるとは思えません。
(この写真だけなら40代と言ってもおかしくはない)
では次に八神純子さんの若い頃の凄い経歴についてご紹介していきます。
八神純子の若い頃が凄かった ②お嬢様だった
八神純子さんは1958年1月5日に愛知県名古屋市千種区に生まれました。
実は実家は医療機器専門商社である八神製作所を経営する名古屋でも有数の名家であり、お父様は第4代会長となる八神良三さんであります。
八神家の長女として生まれ、自宅はなんと3000坪の豪邸で、東海三県で「女子校御三家」と呼ばれる愛知淑徳高等学校へと通っていたまさにお嬢様。
2013年頃から一時期だけ八神製作所の社外取締役を務めていたこともありました。
こんなお嬢様であると言うだけでも凄いのですが、さらに天才少女であったという八神純子さんの経歴についてご紹介致します。
八神純子の若い頃が凄かった ③天才少女だった
八神純子さんは前述しました通り、名古屋でも有数のお嬢様であり、3歳からピアノを習い、小学校1年生から日本舞踊を習うという英才教育を受けておりました。
小さい頃から歌うことが大好きで、自宅でも壁に向かってザ・ピーナッツやシャーリー・バッシーの歌を歌い続けて大人たちをあきれ返らせていたそうです。
ザ・ピーナッツはわかるのですが、シャーリー・パッシーさんって
映画007の歌とか歌っていたイギリスの方ですよね。
幼い頃から英語ペラペラだったんでしょうかね?
お嬢様凄い‥。
お嬢様学校である愛知淑徳高等学校に入学すると、本格的に音楽活動を開始。
フォークギターのサークルを作りギターを持って他校の文化祭へ行ったり。
ヤマハのボーカルタレントスクールにも通い始めて歌の練習に明け暮れていた。
また高校在学中に作曲を始めて16歳のときに最初に作詞・作曲した曲がのちのデビュー曲である「雨の日のひとりごと」であったのだそうです。
高校生の頃には数々のコンテストに参加し、中には世界レベルのコンテストもありました。
この頃の実績をまとめますとこのようになります。
年 | コンテスト名 | 曲 | 結果 |
1974年 | 第8回ヤマハポピュラーソングコンテスト (2曲同時の入賞は史上初) | 雨の日のひとりごと 幸せの時 | 優秀賞 入賞 |
1974年 | 第5回世界歌謡祭 | 雨の日のひとりごと (Junko's Dream) | 本選出場 |
1975年 | 第9回ヤマハポピュラーソングコンテスト | 幸せの国へ | 優秀賞 |
1975年 | 第6回世界歌謡祭 | 幸せの国へ (Hand in Hand) | |
1976年 | 第17回チリ音楽祭 | もう忘れましょう (I Shall Forget) | 6位入賞 |
このように高校在学中に華々しい経歴を残してきた八神純子さん。
まさに天才音楽少女であったことがわかるかと思います。
さらにもっとすごいのはお嬢様学校であった愛知淑徳高等学校では校則が厳しく八神純子さんがこのようなコンテストに出るたびに活動を控えるようにと注意されていたとのこと。
そんな状況にも関わらず退学することなくちゃんと卒業しているのですから勉強もものすごくできたのではないでしょうか。
在学中にはプレデビューという事でキャニオンレコードより1974年に雨の日のひとりごとでシングルデビュー。
また、2枚目のシングル「幸せの時」もリリースしております。
では次に卒業後の経歴についてもご紹介しようと思います。
八神純子の若い頃が凄かった ④卒業後の経歴について
八神純子さんの卒業後の経歴についてご紹介致します。
簡単ではありますが、まとめますとこのようになります。
(wikiの経歴を簡単にまとめました詳細は八神純wikiを参照ください)
幼少期よりお嬢様であり、天才少女であった八神純子さん。
しかしその人生は決して輝きばかりではありませんでした。
一度は活動をやめてしまおうと思っていたこともあったようです。
2度の大きな災害(テロ)を経験し、自分にできることを精いっぱいやろうと決意し現在に至っております。
2023年となった現在もかつてのような歌声と輝きを保っていられるのも一度どん底を味わったからこその輝きであると言えるのではないでしょうか。
八神純子の若い頃がかわいくてお嬢様で天才少女で凄かったことのまとめ
ここまで2023年4月現在65歳となってもなお変わらぬ歌声と美貌をテレビで披露する八神純子さんの若い頃の凄いエピソードについてご紹介してきました。
とても可愛らしく、そして名古屋でも有数のお嬢様であり、高校生の時には数々の音楽コンテストに出場していた天才少女であった八神純子さん。
【高校時代に出場したコンテスト】
年 | コンテスト名 | 曲 | 結果 |
1974年 | 第8回ヤマハポピュラーソングコンテスト (2曲同時の入賞は史上初) | 雨の日のひとりごと 幸せの時 | 優秀賞 入賞 |
1974年 | 第5回世界歌謡祭 | 雨の日のひとりごと (Junko's Dream) | 本選出場 |
1975年 | 第9回ヤマハポピュラーソングコンテスト | 幸せの国へ | 優秀賞 |
1975年 | 第6回世界歌謡祭 | 幸せの国へ (Hand in Hand) | |
1976年 | 第17回チリ音楽祭 | もう忘れましょう (I Shall Forget) | 6位入賞 |
このようにお嬢様で天才少女であったという凄い経歴をもっていた八神純子さん。
しかしながら高校を卒業してからの経歴は輝き続けて来たとは言えないものでした。
しかし苦難な時代をのりこえてきたこそ現在の輝きを保てているのだとその経歴を見て思いました。
今後の活動にも注目ですね。
今も変わらない歌声と美貌は本当にすごいなと思いました。
お体に気を付けて頑張ってください!
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
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