ブレイキングダウンの喧嘩自慢千葉監督として話題となっている田中雄士さん。
動画から醸し出すその雰囲気からもタダモノではない雰囲気が伝わってきますが。
田中雄士さんのことをよく知らないという方のために、ここでは詳しいプロフィールや経歴などについてwiki風に詳しくまとめてみました。
ブレイキングダウン関係者の中でも瓜田純士さんや内藤裕さんとも深い関係にあると言われている田中雄士さん。
それら関係についても詳しく深堀してみましたのでご覧ください。
・田中雄士のプロフィールや経歴について
(年齢・出身地・結婚歴・学歴・格闘歴や壮絶な過去)
・田中雄士と瓜田純士と内藤裕の関係性について
田中雄士のwikiプロフィール経歴(壮絶な過去)
では田中雄士さんについて紹介いたします。
田中雄士さんは1977年生まれのキックボクサーで、現在はレンジャージムのオーナー兼会長として活動されており、実業家としても顔も持っております。
中学時代はバスケットボール部の部長を務める真面目な学生でしたが、高校時代に兄の影響で関東のギャング「KGB」に属し、その後2代目リーダーまで上り詰めるという壮絶な過去を持っています。
17歳の頃には毎月300~400万円という驚愕の収入を得ていましたが、110件以上の起訴を受けて逮捕され、高校中退に至りました。
その後更生し、24歳でキックボクシングを始め、32歳という遅いスタートでプロデビューを果たしながらも、3つのタイトルを獲得した異色の経歴を持つ格闘家としての一面も持っております。
では詳しいプロフィールについて紹介していきます。
田中雄士のwikiプロフィール経歴 ①年齢(生年月日)
田中雄士さんの年齢について詳しく見ていきましょう。
田中雄士さんは1977年7月4日生まれで、2025年現在48歳です。
7月4日はアメリカの独立記念日と同じ日で、非常に覚えやすい誕生日となっています。
32歳でプロデビューという遅咲きのスタートながら、3つの王座を獲得するなど格闘技界での実績を残しています。
ブレイキングダウン界隈でも年齢の近いこの二人とは浅からぬ因縁があり
瓜田純士:1979年12月4日生まれ
内藤裕:1977年または1978年生まれ
その深い関係性については記事の後半で紹介してますのでご覧ください。
田中雄士のwikiプロフィール経歴 ②出身地
次に、多くの方が気になる田中雄士さんの出身地について見ていきましょう。
田中雄士さんの出身地は千葉県千葉市です。
千葉県千葉市は人口約97万人を擁する政令指定都市で、東京湾に面した関東地方の主要都市の一つです。
中学時代まで千葉市で過ごし、バスケットボール部の部長として活動していました。
高校時代に兄の影響で夜遊びを始め、関東のギャング「KGB」との関わりが始まったのも千葉での出来事でした。
KGBは元々東京が本部でしたが、その後千葉に移転し、田中雄士さんは2代目リーダーとして組織を率いることになりました。
田中雄士のwikiプロフィール経歴 ③結婚
田中雄士さんの結婚歴についてそれぞれ詳しく紹介していきます。
田中雄士さんは2度の結婚歴があります。
最初の結婚は24歳から25歳頃で、婚姻期間は13年間と長期にわたりました。
若くして結婚したわりには13年と長く続いたと本人も語っており、この時期は実業家として事業を軌道に乗せていた頃と重なります。
2度目の結婚では、実業家の宮崎麗果さんと40歳頃に結婚し、2018年12月13日に第1子男児、2019年12月2日に第2子女児をもうけました。
しかし第2子女児誕生前に別居し、その後離婚に至っています。
現在2人の子どもは元妻である宮崎麗果さんが引き取っており、田中雄士さんは子どもたちとの関係を大切にされているようですね。
田中雄士のwikiプロフィール経歴 ④学歴
それでは田中雄士さんの学歴について詳しく見ていきましょう。
田中雄士さんの学歴は非常にユニークな経歴となっています。
高校は進学校に進学していましたが、ギャングとしての活動が原因で起訴され、逮捕をきっかけに高校中退となりました。
しかし、その後人生を見つめ直し、大学入学資格検定を取得して大学進学を果たしています。
進学先は明海大学不動産学部で、しっかりと卒業まで完了しています。
高校中退から大学卒業まで、更生への強い意志を感じさせる学歴となっています。
・所在地:千葉県浦安市
・設立:1970年
・偏差値:40-50程度(学部により異なる)
(著名な卒業生)
・川島章良(芸人:はんにゃ)
・パンツェッタ・ジローラモ(タレント)
田中雄士のwikiプロフィール経歴 ⑤格闘歴(戦績)
次に、田中雄士さんの格闘家としてのキャリアについて詳しく見ていきましょう。
田中雄士さんは24歳でキックボクシングを始め、30代になってからジムに通い始め、32歳でプロデビューという異例の経歴を持つファイターです。
遅咲きながらも着実に実力をつけ3つのタイトルを獲得しております。
・第3代GRACHANキックフェザー級王者
・WBKF初代世界スーパーフェザー級王者
・蹴拳インプレッション初代スーパーフェザー級王者
【2012年11月24日】
GRACHAN キック フェザー級チャンピオン決定戦
VS 吉峰翔 〇 (フェザー級タイトル獲得)
【2014年2月1日】
WBKF世界スーパーフェザー級タイトルマッチ
VS チャラムガーオ・シットクーヤット(タイ) 〇 (世界タイトル獲得)
【2015年7月22日】
蹴拳インプレッションルール スーパーフェザー級王座決定戦
VS シンリーテック・ポーポンサワン
(タイ/元ラジャダムナン・スタジアム認定7位)
〇 (インプレッションタイトル獲得)
総試合数は10戦で、戦績は5勝(4KO)3敗2分となっています。
32歳という遅いプロデビューながら、わずか3年間で3つのタイトルを獲得するという驚異的なペースで結果を残しました。
田中雄士のwikiプロフィール経歴 ⑥その他活動内容
ここでは田中雄士さんの格闘技以外での活動について紹介いたします。
田中雄士さんは格闘家としての顔以外にも、実業家・ヒップホップシンガーとして幅広く活動されています。
実業家としてはキックボクシングジム「レンジャージム」のオーナー兼会長を務め、都内で複数のネイルサロンと飲食店を経営しています。
2017年からはヒップホップシンガーとしても活動を開始し、AK-69やZeebra、BIG RON、輪入道といった著名なラッパーとのコラボレーション楽曲も発表しています。
【ヒップホップシンガー】
・遅咲きのヒーロー(2017年11月)
・断捨離 feat. HOKT(N.C.B.B)(2019年2月)
・Black Card feat. AK-69
(2021年4月、ビクターエンタテインメント、配信限定)
・STAY WITH ME feat. BIG RON
(2021年6月、ビクターエンタテインメント、配信限定)
・遅咲きのヒーロー
(2021年7月、ビクターエンタテインメント)
【実業家】
・キックボクシングジム「レンジャージム」オーナー兼会長
・都内複数のネイルサロン経営 ・都内複数の飲食店経営
このように多岐にわたる事業を展開し、格闘技界だけでなくビジネス界でも成功を収めています。

ちなみに経営するレンジャージムには
ブレイキングダウン16で戦い合った
内藤裕さんとレオさんの二人も通っていたそうですよ!
田中雄士がブレイキングダウン17に参戦
かねてからブレイキングダウン参戦のオファーを受けていたという田中雄士さんですが。
ついにブレイキングダウン17での参戦ということで注目されましたがその参戦の仕方が意外な方向性で話題となっております。
田中雄士さんは2024年9月17日、ブレイキングダウンにおいて「喧嘩自慢千葉代表監督」として就任することを発表しました。
急なオファーだったということですが快く引き受け千葉県最強の喧嘩自慢メンバーを集めた田中雄士さん。
この発表はこれまで待ちに待っていたファンにとっても衝撃的で
「まさかのご本人でした!」「本物がでてきてしまった」「えぐい」などの声が上がりました。
田中雄士さんは自身のインスタグラムで就任の理由について詳しく説明しており
「純粋に今最も影響力があり実際に若者にチャンスを与えている素晴らしいコンテンツであることは揺るぎない事実」としながらも
「このコンテンツがもたらす悪い影響も見過ごすことができなく」と懸念も示しています。
特に「喧嘩揉め事の本当の怖さを知っている自分が補正すべく、これから大人になる子供たちの見本になれれば」
という思いで出演を決めたと語っており、過去のリーダー経験を活かした責任感ある行動を見せています。
また、年齢の近いブレイキングダウン関係者である内藤裕さんや瓜田純士さんとは複雑な関係性があることでも知られています。
次はそれらの関係性について紹介していきます。
田中雄士と内藤裕の関係について
ここでは田中雄士さんと内藤裕さんの複雑な関係について詳しく紹介していきます。
田中雄士さんと内藤裕さんは子供の頃からの友人関係であり、元々同じ組織にいた旧知の仲でしたが、一時期関係が悪化した過去があります。
内藤裕さんがアルコール依存症に陥り、配信で田中雄士さんのことを悪く言ったことで関係がこじれました。
配信中に田中雄士さんや共通の仲間たちの悪口を言ったり、過去の出来事を暴露したりする行為が続いたため、田中雄士さんは強硬手段に出ることになりました。
この問題に対処するため、田中雄士さんは仲間と共に内藤裕さんを呼び出し、彼の配信チャンネルを一時的に停止させたこともあります。
その後、内藤裕さんがアルコール依存症を克服し、格闘家として真剣に再起を目指すようになったことで、二人の関係は大きく改善しました。
現在では田中雄士さんが内藤裕さんの真剣な取り組みを応援しており、ブレイキングダウン16への出場には個人的にスポンサーを務めるほどの良好な関係となっています。
田中雄士さんは「内藤さんが過去の行動を反省し、格闘技で成果を出すことで信頼を回復させるべき」と考えており、彼の更生を全面的にサポートしています。

今回千葉県喧嘩自慢代表に内藤さんを選んだのも
このあたりのことがあるのかもしれません
このように一度は決裂した関係も、互いの成長と努力によって修復され、現在では強い信頼関係で結ばれています。


YouTube動画で笑顔で語らう二人を見ていると
とてもいい関係なんだなということが伝わってきます。
田中雄士と瓜田純士との関係について
次に、田中雄士さんと瓜田純士さんとの関係性について見ていきましょう。
二人の関係性に付いては具体的なことは不明なのですが。
田中雄士さんと瓜田純士さんは、ブレイキングダウンをきっかけに10数年ぶりに再会を果たした旧知の仲であることが明らかになりました。
田中雄士さんがブレイキングダウン17で千葉の喧嘩自慢監督に就任したことで、瓜田純士さんとの交流が再び実現したということが報道されておりました。
2025年9月、田中雄士さんは自身のXに瓜田純士さんとの2ショット写真を投稿し、「十何年振りにゆっくり話した!BD通してまた交わるて人生面白いよね」と記しました。
投稿には現在の2ショットと共に過去の2ショット写真も添えられており、長年の交流があったことが分かります。
この再会について、ネット上では「目頭が熱くなる邂逅」「こういうの良いですよね」といった温かい声が上がりました。
一方で、過去の写真について
「左の写真のお二人はめっちゃカッコいいけど右の写真の二人は絶対近付きたくない不気味さですな」「イケオジ二人とも顔つきが優しくなってる」
といったコメントも見られ、両者の変化を感じさせる反応もありました。
これらのことから、田中雄士さんと瓜田純士さんは共に"アウトローの世界"での経歴を持っており、その時代からの知り合いであったと推測されます。
瓜田純士さんも17歳で極道の道に入った経歴があり、田中雄士さんがKGBの2代目リーダーを務めていた時期と重なる部分があります。
両者とも現在は更生し、それぞれの道で活躍していることから、お互いの成長を認め合える関係になったのではないでしょうか。

ブレイキングダウンが二人の再会のきっかけとなり
長年の時を経て再び交流を深める機会となったことは非常に印象的です。
・10数年来の旧知の仲
・ブレイキングダウンで再開
・元アウトローで現在の更生と成功の経験を共有
・お互いの成長を認め合う良好な関係
田中雄士についてまとめ
ここまでブレイキングダウンの喧嘩自慢千葉監督である田中雄士さんについて紹介してきました。
プロフィールや経歴についてwiki風に一覧にまとめたものがこちらとなります。
【プロフィール】
・本名:田中雄士(たなか ゆうじ)
・生年月日:1977年7月4日
・年齢:48歳(2025年9月現在)
・出身地:千葉県千葉市
・学歴:明海大学不動産学部卒業(高校中退後、大検取得)
・職業:キックボクサー、実業家、ヒップホップシンガー
・結婚歴:2回(現在は離婚、2児の父)
・過去:関東最大級のギャングKGB2代目リーダー
・所属:レンジャージム(オーナー兼会長)
・階級:スーパーフェザー級
・戦績:10戦5勝(4KO)3敗2分
(獲得タイトル)
・WBKF初代世界スーパーフェザー級王者
・第3代GRACHANキックフェザー級王者
・蹴拳インプレッション初代スーパーフェザー級王者
【内藤裕との関係性】
・子供の頃からの付き合い
・同じKGBのメンバー
・内藤裕の酒がきっかけで決別
・内藤裕が更生したことで交流が再開
・千葉喧嘩自慢の監督とメンバーという関係
【瓜田純士との関係性】
・10数年来の旧知の仲
・ブレイキングダウンで再開
・元アウトローで現在の更生と成功の経験を共有
・お互いの成長を認め合う良好な関係
田中雄士さんは関東最大級のギャングのリーダーから更生し、32歳でプロデビューを果たした異色の経歴を持つ人物です。
内藤裕さんとの関係では一度決裂しながらも和解し、現在は彼の更生を全面的にサポートしています。
今回千葉県喧嘩自慢のメンバーとして選んだのもこのあたりの関係性があるのだと思います。
現在は実業家として成功を収めながら、格闘技界やエンターテインメント業界でも幅広く活動を続けており、ブレイキングダウンでの今後のさらなる活躍が期待されています。

今度は監督としてではなく
選手として試合も見たいですね
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
コメント