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南部虎弾が若い頃ダチョウ倶楽部を脱退した理由は何?上島竜平との関係は?【画像あり】

電撃ネットワークの南部虎弾(なんぶとらた)さんが2024年1月20日午後11時55分、脳卒中のため亡くなったと報道がありました。

ご冥福をお祈り申し上げます。

過激なパフォーマンスで有名な電撃ネットワークのメンバーであった南部虎弾さん。

実は若い頃はダチョウ倶楽部のメンバーだったのですが

何故ダチョウ倶楽部を脱退したのか?

ここでは南部虎弾さんが若い頃にダチョウ倶楽部を何故脱退したのかについて徹底調査してみました

また、2022年5月にお亡くなりになられているダチョウ俱楽部のメンバー「上島竜平」さんとの関係についてもまとめてみましたのでご覧ください。

このブログを読んでわかること

・電撃ネットワーク「南部虎弾」さんが若い頃ダチョウ倶楽部を脱退した理由
・電撃ネットワーク「南部虎弾」さんと上島竜平さんとの関係について

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電撃ネットワーク「南部虎弾」が若い頃ダチョウ俱楽部を脱退した理由について

2024年1月21日に亡くなられた電撃ネットワークのメンバーである南部虎弾さん。

若い頃はダチョウ倶楽部のリーダーでありました。(当時は南部虎太と名乗っていた)

ダチョウ倶楽部結成秘話

・南部虎弾さんがコント赤信号のストリップ劇場に出入りする
・そこで舞台に立ち受けたことから渡辺正行さんからグループの結成を進められる
・肥後・上島・寺門の三人が元々やっていたグループと合流することとなる
・一番年上だった南部さんがリーダーを務めることとなる
南部虎弾:1951年〈昭和26年〉7月14日 34歳
肥後 克広:1963年(昭和38年)3月15日 22歳
上島竜平:1961年〈昭和36年〉1月20日 24歳
寺門ジモン:1962年(昭和37年)11月25日 23歳

※年齢は1985年結成時

Twitter(X)より画像引用

コント赤信号渡辺正行さんの勧めで1985年に結成されたダチョウ倶楽部でしたが。

当時はキムチ倶楽部と名乗って活動しており、テレビ局からその名前はちょっと使いずらいから改名してくれないと言われ。

そこで南部さんが考えたのがダチョウ倶楽部という名前だったそうです。

南部虎弾がダチョウ倶楽部と命名した理由

当時「タモリ・たけし・所・鶴太郎・とんねるず」と売れている人たちがタ行だったため、濁点とはなっているがダチョウ倶楽部にしようと提案しそれで決定する

このようにダチョウ俱楽部の結成のきっかけとなり、命名までしていた南部虎弾さんでしたが1987年に脱退しております。

脱退の理由として挙げられるものとして芸風の違いがあったようですね。

現在の電撃ネットワークの活動を見ていただければわかるようにとても過激なパフォーマンスを好んでいた南部虎弾さん。

どうやらダチョウ俱楽部時代にも上島竜平さんに突然夜中に『ビー玉飲めるか?』と尋ねたりと過激なパフォーマンスを求めていたようです。

また、一方では当時ひょうきん予備校という番組出ていたダチョウ倶楽部の4人

ひょうきん予備校

・1986年10月6日から1987年9月21日に放送された番組
・島田紳助が司会で若手タレントたちがネタを披露する番組

(主な出演者)
ダウンタウン
久本雅美
清水ミチコ
井森美幸
ハイヒール(リンゴ、モモコ)
野々村真
パワーズ(須間一弥、火野玉男)
ジミー大西
石塚英彦(BIG THURSDAY)
十日市秀悦(BIG THURSDAY)
恵俊彰(BIG THURSDAY)
野沢直子
ピンクの電話(清水よし子、竹内都

当時人気が上がり始めていたダウンタウンに負けたくないと思った南部虎弾さんは

目立ちたい一心からタモリさんがゲストに来た時に「タモリさんは最近の笑いらしいことは何もしていないのになんでお笑いの帝王何ですか?」と発言します。

その発言が俺たちひょうきん族のプロデューサーでもあった横沢さんの目に留まり

「君、いいねぇ、もっと失礼なことを言っていったほうがいいよ」とお墨付きをもらうことに。

その後山本晋也監督がゲストに来た時に「山本監督は監督っていうけれどどんな作品を作っているんですか?」と質問し答えてもらった作品名に対して

「聞いてもよく知らない作品ばかりですね」と失礼な発言をしたところそこから一触即発に

そのシーンが全カットとなり、また、度重なるごとに大御所に失礼な発言をぶつけるという南部虎弾さんに対しそれについていけなくなった他の三人。

こういった経緯があって南部虎弾さんは実質太田プロから首になってしまったのだそうです。

ひらけん
ひらけん

どうやら南部虎弾さんには直接伝えられず

あるひ自分を除いた三人がテレビに出ていて

マネージャーに連絡してそれを知ったのだそうですね。

こうして南部虎弾さんはダチョウ倶楽部を脱退してその後電撃ネットワークを結成して現在に至るというわけです。

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南部虎弾と上島竜平との関係は?

2022年5月にお亡くなりになられたダチョウ倶楽部のメンバーであった上島竜平さん。

このようにかつては同じお笑いカルテットのメンバー同士であった南部虎弾さんと上島竜平さんとの関係はどのようなものだったのか紹介したいと思います。

二人の間にはこのようなエピソードがあります。

南部虎弾と上島竜平とのエピソード

・夜中に南部が上島に「お前ビー玉飲めるか?」と電話する
・南部虎弾さんが竜平会に入れてくれと頼むも上島さんがそれを拒否

前述もしたようにダチョウ倶楽部時代に南部さんが夜中に急に上島さんに電話をして

「お前ビー玉のみ込めるか?」と尋ねてそれに対して上島さんが「できません」と答えて二人の仲は気まずくなったと上島さんが語っていたように

上島さんは南部さんを苦手に思っていたのかもしれません。

上島さんが亡くなった時にも「竜平会に入れてくれと頼んだことがあったけど断られた」

と笑いを誘うように語っていた南部さん。

しかし、それ以上に亡くなった上島さんに対して自分にだけではなく一人になるとどこか人を避けるようなその性格をずっと気にしていたようであります。」

声を詰まらせながら上島さんについて語っていた南部さんの姿が印象的ではありました。

奇しくも南部虎弾さんが亡くなられた1月20日という日は上島竜平さんの誕生日であります。

この運命的な符号になんだか二人の宿命的な何かを感じてしまいそうであります。

天国で二人が仲良くできるようにと祈らずにはいられないのは僕だけでしょうか。

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南部虎弾とダチョウ倶楽部・上島竜平についてまとめ

ここまで2024年1月20日に亡くなられた電撃ネットワークの南部虎弾さんとダチョウ倶楽部と上島竜平さんとの関係性についてご紹介してきました。

まとめますとこのようになります。

南部虎弾について

【プロフィール】
本名:佐藤 道彦(さとう みちひこ)
生年月日:1951年7月14日
年齢:72歳(2024年1月20日没)
出身地:山形県鶴岡市
高校:鶴岡南高校
大学:高崎経済大学(中退)
身長:168cm

【ダチョウ倶楽部結成秘話】
・南部虎弾さんがコント赤信号のストリップ劇場に出入りする
・そこで舞台に立ち受けたことから渡辺正行さんからグループの結成を進められる
・肥後・上島・寺門の三人が元々やっていたグループと合流することとなる
・一番年上だった南部さんがリーダーを務めることとなる
南部虎弾:1951年〈昭和26年〉7月14日 34歳
肥後 克広:1963年(昭和38年)3月15日 22歳
上島竜平:1961年〈昭和36年〉1月20日 24歳
寺門ジモン:1962年(昭和37年)11月25日 23歳

【ダチョウ倶楽部を脱退した理由】
・南部虎弾さんの過激な言動やパフォーマンスに他の三人がついていけなくなったため
【南部虎弾と上島竜平の関係について】
・南部さんのことを苦手と思っていたと思われる上島さん
・上島さんのことをずっと気にかけていた南部さん
・南部虎弾さんが亡くなった日と上島竜平さんの誕生日が一緒

このように過激なパフォーマンスを得意としていた南部虎弾でしたが、実はダチョウ倶楽部のリーダーだったことを僕はこうして調べてみて初めて知りました。

電撃ネットワークでの派手な姿しかイメージになかった南部さんでしたが、亡くなった上島さんのことをずっと気にかけていたこと。

南部さんの亡くなった日が上島さんの誕生日だったことになんだか運命的なものを感じてしまいました。

ひらけん
ひらけん

4人でのダチョウ倶楽部のコントなんかも見てみたかったですね。

改めて南部虎弾さんの、そして上島竜平さんのご冥福をお祈りしたいと思います。

ここまで読んでいただきましてありがとうございます。

南部虎弾wikiページ

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