2023年3月15日ガーシー参議院議員の除名が決定しました。
これは戦後3例目のことで、国会議員の除名は72年ぶりということであるそうです。
さらには欠席が理由となるのは史上初めての事であります。
では、ここではこれまで国会議員で除名となった方たちが誰なのか。
いつ除名されたのか、またその理由についてご紹介しようと思います。
国会議員の過去の除名者は誰なのか?
ガーシー参議院議員の除名が決定しましたがこれは戦後三例目ということであります。
では、これまでの二例についてご紹介しようと思います。
国会議員の過去の除名者は誰なのか? ①一例目
戦後最初に除名者がでたのは1950年4月7日のことでした。
参議院議員の「小川友三(おがわともぞう)」という方が除名となっております。
このときの懲罰委員会では、賛成118票、反対10票の得票率92.19%ということでこの時は初めての除名の採決ということで否定的な方も多く欠席者も多かったという事です。
国会議員の過去の除名者一例目「小川友三」の除名の理由について
戦後初となった国会議員の一例目の除名者である「小川友三」さんが除名となった理由は、簡単に言うとめちゃくちゃであったということであります。
本会議での予算を採決する前に議長から許可を得て反対討論を述べることを許可されたのですが、意味のないことを繰り返し周りにもヤジられるなど、最終的には何も言わずに席に戻ります。
その後賛否をはっきりさせてくださいと言う議長の再三の求めに対し最終的には反対意見を表明するのですが、なんとその後の投票では賛成票を投じております。
これらの支離滅裂な行動が議員としてふさわしくないとして懲罰委員会にかけられ最終的に除名となったようです。
また他にも普段から素行はあまりよくはなく、議員バッジをなくしたと嘘をついて再交付を受けてそのバッジを自らの取り巻きたちにつけさせていたということもあったようです。
これらの素行の悪さも影響して除名となったようですね。
また、除名となった後も参議院選挙・衆議院選挙・地方選挙(埼玉県議)に再三挑みますが当選することはなかったそうです。
いやはやめちゃくちゃですね。
その後も当選できなかったのはわかるような気がします。
国会議員の過去の除名者は誰なのか? ②二例目
戦後二番目に除名者がでたのは1951年3月29日のことでした。
衆議院議員の「川上貫一(かわかみかんいち)」という方が除名となっております。
このときの懲罰委員会では、賛成239票、反対71票の賛成の比率が77.1%ということでこの時は反対する方も多かったようであります。
国会議員の過去の除名者二例目「川上貫一」の除名の理由について
戦後二例目となった国会議員の除名者である「川上貫一」さんが除名となった理由は、簡単に言うと時代にそぐわない過激な発言をしたことによります。
1951年当時日本は第二次世界大戦で敗戦し、連合国の占領下にありました。
そんな中、共産党所属の議員で会った川上さんは発言を求められていないにも関わらず野次を飛ばしばしました。
その内容は当時占領政策の中心となっていた連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)についての批判。
また、社会主義に対する賞賛や革命をほのめかすようなものであったため、そのことが問題視され懲罰委員にかけられガーシー議員同様最初は陳謝という処分となりました。
しかし、陳謝には応じず除名処分となったようです。
内容はともかくガーシー議員と同じような流れですね。
さらにはこの後、当時のGHQの総司令官であったダグラス・マッカーサーの下行われたレッド・パージにより逮捕・投獄されることとなります。
つまりは川上貫一さんは除名されていなくても失職していた可能性が高ったのですね。
しかし、その後サンフランシスコ講和条約の締結により日本は主権を取り戻し、レッド・パージにより逮捕投獄されていた人たちもその罪状を解除されました。
川上貫一さんも同様で、その後政治活動を再開し、1953年(昭和28年)には第26回衆議院議員総選挙で大阪2区から当選します。
これは再生した共産党の初めての議席だったそうです。
その後も6回の当選を繰り返し、その功績から、党の国会議員団長や党中央委員を務めております。
除名されてもまた議員活動を行うことはできるのですね。
戦後の国会議員の除名者は2名なのですが、実は戦前にも除名された国会議員はおります。
次はそのことについてご紹介致します。
国会議員の過去の除名者は誰なのか? ③戦前の除名者について
戦後の国会議員の除名者は3名おりました。
一覧にしてみましたのでご覧ください。
採決日 | 議会 | 氏名 | 賛成 | 反対 | 比率 | 理由 |
1893/12/13 | 衆議院 | 星亨 | 185 | 92 | 66.78 | 収賄疑惑によって議長不信任が議決されたのに 議長の座に居座ったため |
1938/3/23 | 衆議院 | 西尾末広 | 320 | 43 | 88.15 | 国家総動員法案の審議において当時の近衛首相を 他国の独裁者の名前を出し激励したことが問題視された |
1940/3/7 | 衆議院 | 斉藤隆夫 | 296 | 7 | 97.69 | 世の中が戦争に傾いていた時代に反軍演説を行いそれが問題視された |
このように戦前にも除名者はおり、これまでの日本史上で除名となったのはガーシー議員も含めて5名ということになります。
しかし斉藤隆夫さんの場合は、今の時代なら支持されても
おかしくはないですが当時の日本の情勢を考えたら
仕方なかったんでしょうね。
国会議員の過去の除名者についてまとめ(誰・いつ・理由)
ここまで、過去に除名処分となった国会議員についてご紹介してきました。
まとめるとこのようになります。
【戦前】
採決日 | 議会 | 氏名 | 賛成 | 反対 | 比率 | 理由 |
1893/12/13 | 衆議院 | 星亨 | 185 | 92 | 66.78 | 収賄疑惑によって議長不信任が議決されたのに 議長の座に居座ったため |
1938/3/23 | 衆議院 | 西尾末広 | 320 | 43 | 88.15 | 国家総動員法案の審議において当時の近衛首相を 他国の独裁者の名前を出し激励したことが問題視された |
1940/3/7 | 衆議院 | 斉藤隆夫 | 296 | 7 | 97.69 | 世の中が戦争に傾いていた時代に反軍演説を行いそれが問題視された |
【戦後】
採決日 | 議会 | 氏名 | 賛成 | 反対 | 比率 | 理由 |
1950/4/7 | 参議院 | 小川友三 | 118 | 10 | 92.19 | 本会議前の演説で反対意見を述べていたにも関わらず採決では賛成票を投じたため。 ※議員バッジの不正利用など普段から素行が悪かったことも原因 |
1951/3/29 | 衆議院 | 川上貫一 | 239 | 71 | 77.1 | 当時占領下における日本において、GHQの批判及び社会主義及び革命を礼賛したため |
2023/3/15 | 参議院 | ガーシー (東谷義和) | 235 | 1 | 99.57 | 当選以来、正当な理由なく海外に滞在し続けて一度も登院せず 議長の招状にも応じず、陳謝も拒否したため |
このようにガーシー議員は戦後で3例目、これまでの日本憲政史上では5例目の除名処分となります。
一覧を見ていて目を引いたのがこれまでの除名に比べて圧倒的に賛成が多いという事でありました。
確かに再三の招集にも応じないその姿勢は何のために政治家になったのかという点においては疑問に思えてきます。
ガーシー議員が一貫して主張するのは日本に帰国することで不当な逮捕をされる可能性があるということでありました。
本当にそんなことになるのでしょうか?
それらについてはこちらの記事でまとめておりますのでご参考下さい。
また、こんな人物に投票する人がいたということにも驚きを隠せませんでした。
しかし投票した人たちは芸能界の暗部を暴露してきたガーシーさんに政治の暗部も暴いて欲しいと思って投票された方もいらっしゃったのかもしれません。
現在corabo問題などで話題となっている、一般人「暇空茜」氏のような活動を求めていたのかもしれません。
一般人ではやれることは限られてきますが、政治家という立場であったガーシーさんであれば活動できる範囲は大きく、これらを期待していた方たちにとっては非常に残念であったのではないでしょうか。
しかし、党名「政治家女子48党」って慣れないですよね(笑)
そもそも「NHK党」のことなのですが、いつの間に党名変わったんだと思っている方もいらっしゃるかと思います。
それらの経緯についてはこちらでまとめておりますのでご参考下さい。
今後のガーシーさんや「政治家女子48党」の動きについても一体どうなるのか気になるところであります。
今後の動向についても注目していこうと思います。
ここまで読んでいただきましてありがとうございます。
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