2023年11月15日にテレビ東京の音楽祭「テレ東60祭ミュージックフェア」で生歌を披露して話題となっていた菊池桃子さん。
一部では歌が下手だとか声量がない、放送事故じゃないかなんて話も出ておりましたが…。
アイドル時代はものすごい大人気の伝説のアイドルだったのですよ!
そこでここでは菊池桃子さんのアイドル時代の伝説についてまとめてみましたのでご覧ください。
菊池桃子のここが凄い!アイドル時代の伝説について
1983年に中学二年生でアイドルとしてデビューした菊池桃子さん。
スカウトされたきっかけは菊池桃子さんの叔母が飲食店を経営しており
そこで飾ってあった親族の集合写真を見た音楽事務所トライアングル・プロダクションの関係者が見て菊池桃子さんの笑顔に惹かれてスカウトしたということであります。
小学生時代から学校ではモテモテだったという菊池桃子さん。
小学校時代は学級委員をいつもやっていたということで。
この学級委員選びがいわば人気投票みたいになっていたそうで男女ともに支持されていたそうです。
学級員となった菊池桃子さんでしたがある日突然仕事ができた方がもっと支持されるかもと思い。
カッコいいテキパキしたキャラを演じてできる女風にしようと思ったら人気投票7位に落ちてしまったというエピソードがあったということです。
それで自然体にしたらまた1位に戻ったということでして、みんなが求めている菊池桃子さんはどこかぼんやりしていて手助けしてあげたいというものであったということでありました。
なんかこれってラ・ムーにいきなり転身したときのことを思い出すエピソードだなって思っちゃいましたね。(詳細は菊池桃子伝説⑥を参照)
では次からは菊池桃さんのアイドル時代の伝説について「ここが凄い!」ところを詳しくご紹介して行こうと思いますが。
次の6点に注目していこうと思います。
菊池桃子のアイドル時代の伝説について ①デビュー作品のタイトルが「パンツの穴」
菊池桃子さんのアイドル時代の伝説その①ですがデビュー作品のタイトルが「パンツの穴」だったことではないでしょうか。
タイトルからしてちょっとエッチな映画なの?と思われがちですが。
ちょっとウ〇コネタなどが多いどちらかというとさわやかな青春ストーリーであります。
菊池桃子さんのセクシーシーンがあるわけではないですね。
しかし、当時は菊池桃子さんの美少女っぷりが話題となっておりましたね。
なんだかSKE48所属の福士奈央さんに似ていますよね
当時は番組の宣伝で何度も「パンツの穴」ぜひ見て下さい!
と連呼していたそうです…。
菊池桃子のアイドル時代の伝説について ②新人賞受賞するも辞退
1984年に「青春のいじわる」でシングルデビューを果たした菊池桃子さん。
『SUMMER EYES』『雪にかいたLOVE LETTER』と、立て続けにシングル曲をヒットさせてこの年のブロマイド(今でいうところの生写真)の売り上げ1位となり。
年末のレコード大賞の優秀新人賞にノミネートされるまでになりました。
しかし、驚きだったのが菊池桃子さんは当日行われる最優秀新人賞の授賞式を辞退しております。
「気持ちの整理がつかない」というのが理由でありましたが。まあ、いろいろ大人の事情もあったのかもしれませんが
当時は大物アーティストは歌番組に出ないというのが定番でありましたから、なんだか新人にして大物感を感じてしまいました。
菊池桃子のアイドル時代の伝説について ③日本武道館の最年少記録を持っている
菊池桃子さんのアイドル時代の伝説の3つ目として挙げられるのが1985年に行われた日本武道館でのコンサートではないでしょうか。
当時17歳だった菊池桃子さんでしたが、これが当時の最年少講演記録となっております。
さらにはビートルズの公演の観客動員数を抜き、九段下駅から日本武道館へと長い行列が出来話題になっており入場できなかった観客も1万人を超えていたそうです。
菊池桃子のアイドル時代の伝説について ④7作連続オリコン1位の記録を持っている
菊池桃子さんのアイドル時代の伝説について4番目は7作連続オリコン1位の記録を持っているということであります。
1985年にリリースした4枚目の曲「卒業-GRADUATION-」がオリコン一位に輝いており、ここから7作連続で1位を飾るなど菊池桃子さんの人気は不動のものとなっておりました。
リリース日 | 曲名 |
1985年2月27日 | 卒業-GRADUATION- |
1985年5月15日 | BOYのテーマ |
1985年9月26日 | もう逢えないかもしれない |
1986年2月13日 | Broken Sunset |
1986年5月14日 | 夏色片想い |
1986年9月3日 | Say Yes! |
1987年3月25日 | アイドルを探せ |
この頃のアイドルの顔ぶれもすごい中でのこの記録ですから
これは本当にすごいと思います。
菊池桃子のアイドル時代の伝説について ⑤伝説の27万人握手会
菊池桃子さんのアイドル伝説の5番目は1986年に行った伝説となっている握手会であります。
全国12か所で25万人を予定していた握手会は最終的に27万人を動員したということであります。
全盛期のAKB48の握手会の動員数が2万~3万人であったことを考えると当時でこの数字は驚異的であると思われます。
菊池桃子のアイドル時代の伝説について ⑥アイドルからミュージシャンへ転身?
菊池桃子さんのアイドル時代の伝説6番目ですが、1988年のアイドル絶頂期に突然のロックミュージシャンへの転身を宣言したことであります。
1988年2月17日に突然菊池桃子さんは単独記者会見を行い「今後は新たに結成するロックグループ「ラ・ムー」のボーカルとして歌手活動を行う」と発表。
当時はこの宣言に多くの人がびっくりしたものでした。
どうやら菊池桃子さんの所属していた事務所「トライアングル・プロダクション」ですが実はシティポップの先駆けとなっていた事務所であり、アイドルは当時菊池桃子さんしかおりませんでした。
そのため事務所でも菊池桃子さんをただのアイドルで終わらせるつもりはなく
菊池桃子さん本人も「アイドルでいることに違和感を覚えていた」と転身の動機を述べておりました。
ラ・ムーは黒人のバックコーラスを二人引き連れた7人編成であったり、菊池桃さんの奇抜な衣装(すごい肩パット)が話題となっておりました。
しかし、歌い方は菊池桃子さん特有のささやくようなウィスパーボイスで、ロックというよりはタイトなリズムで当時はまだ日本に定着していなかったR&B、ファンクなどのジャンルに近く。
レコードのセールスはアイドル時代には遠く及ばず、菊池桃子さんのファンの間でも黒歴史として語り継がれてきておりました。
しかし、これが2010年以降状況が変わってきます。
2010年代のシティ・ポップのブームの中で、海外でラ・ムーの楽曲群は再評価を受けることとなります。
そのことについては2022年11月22日放送のマツコの知らない世界でフューチャーファンクの第一人者「NightTempo(ナイトテンポ)」さんが出演して紹介されておりました。
この回にシークレットゲストで出演した菊池桃さん。
「NightTempo(ナイトテンポ)」さんには感謝してもしきれないと番組内では語っておりました。
「NightTempo(ナイトテンポ)」さんの中では「ラ・ムー2.0構想」というものも考えられているそうで、今後の動向にも注目したいですね。
【NightTempoのラ・ムー作品】
菊池桃子のアイドル時代の伝説についてまとめ
ここまでテレビ東京の音楽祭「テレ東60祭ミュージックフェア」で生歌を披露して色々な意味で話題となっていた菊池桃子さんのアイドル時代の伝説についてご紹介してきました。
まとめますとこのようになります。
このように数々の伝説を持っているアイドル時代の菊池桃子さん。
「テレ東60祭ミュージックフェア」だけを見て菊池桃子さんを知った方やアイドル時代を知らない方々にぜひ菊池桃子さんの凄さを知ってもらいたくこの記事を執筆いたしました。
2023年現在55歳となっても若いころと変わらない美貌とかわいさを保っている菊池桃子さんの今後のご活躍をお祈り申し上げます。
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
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