柏倉守硫(かしくらまもる)さんをご存じでしょうか?
ブラジリアン柔術の使い手でこれまでに数々の格闘技家に指導を行ってきた指導者でもあります。
なんでもブレイキングダウン7のオーディションで話題となっているエドポロキングさんに寝技を指導した方でもあるそうです。
そんな柏倉守硫(かしくらまもる)さんですが、どうやら物凄い経歴を持っているようであります。
そこでここでは柏倉守硫(かしくらまもる)さんのプロフィールや経歴についてwiki風にまとめましたのでご覧ください。
年齢・出身地・家族・格闘歴などをご紹介致します。
ブラジリアン柔術の使い手「柏倉守硫」のプロフィール
ブラジリアン柔術の使い手でブレイキングダウン7の本選に出場するエドポロキングさんの寝技の師匠でもある柏倉守硫(かしくらまもる)さん。
本名は「柏倉守」といい柏倉守硫はリングネームとなります。
まずはプロフィールについてご紹介致します。
年齢・出身地・格闘歴(経歴)・家族の順にご紹介致します。
ブラジリアン柔術の使い手「柏倉守硫」のプロフィール ①年齢
柏倉守硫(かしくらまもる)さんの年齢は1975年(昭和50年)2月8日生まれの47歳であります(2023年1月7日現在)
2月8日生まれということは‥。
ブレイキングダウンのエドポロキングさんも2000年の2月8日生まれですね。
エドポロキングさんも柏倉守硫(かしくらまもる)さんから寝技を1年間学んでいたということですが、実は誕生日が一緒だったのですね。
ちょっとおどろきました。
ちなみにエドポロキングさんがお世話になっているダルビッシュ翔さんとよくYouTubeでコラボしているがーどまんさんも1999年2月8日生まれと、なんだかこの界隈2月8日生まれ多すぎじゃないですか?
では次は出身地についてご紹介致します。
ブラジリアン柔術の使い手「柏倉守硫」のプロフィール ②出身地
ブラジリアン柔術の使い手である柏倉守硫(かしくらまもる)さんの出身地は千葉県であります。
千葉市の下町で当時はとても治安の悪い町だったそうです。
暴走族が数多く存在し、一般人と悪い人たちの区別がつかないほど荒れていたそうです。
その後、とある地方都市へと引っ越しをするのですが、その場所の名前は明かせないのだそうです。
その街で悪さの限りを尽くしたため公表することができないのだそうですが、しかし、格闘家としてのプロフィールには出身が北海道の札幌市となっていたのでもしかしたら札幌かもしれませんね。
では、いったいどのようなことをしてきたのか柏倉さんの経歴についてご紹介致します。
ブラジリアン柔術の使い手「柏倉守硫」のプロフィール ③経歴
ブラジリアン柔術の使い手で数多くの格闘家に指導してきた柏倉守硫(かしくらまもる)さんの経歴についてご紹介致します。
内容についてまとめますとこのようになります。
では、詳しく紹介していきます。
暴走族だった中学時代~少年院まで
中学一年生から暴力事件三昧だった柏倉守硫(かしくらまもる)さん。
しかし入学した中学校はできたばかりの新設校だったため問題をおおっぴらにしたくないため、警察に補導されることはなかったそうです。
そして中学三年生の時に暴走族だった兄の知り合いに無理やり暴走族へと入隊させられます。
ケンカが強くバイクの運転も上手かった柏倉さんはリーダー格となり、警察から仲間を守る囮役もこなしておりました。
とある事件の時は相手チームが50~100人逮捕者が出たのにもかかわらず、柏倉さんのチームは柏倉さんが身を挺して全員を逃がすことに成功したのだそうです。
この事件をきっかけに少年院へと入る事となるのですが、少年院でも柏倉守硫(かしくらまもる)さんは有名人で誰からも恐れられていて手出しされることもなかったそうです。
11か月の刑期のところを問題も何も起きずに(みんなが恐れて手を出せないため)模範囚として9か月で社会復帰するのですが、その後ヤクザへとなります。
つぎはそのことについてご紹介致します。
ヤクザ時代
少年院から出た柏倉守硫(かしくらまもる)さんは暴走族時代の数々のエピソードや仲間を守り切ったことが評価されて期待のルーキーとしてヤクザ界へスカウトされます。
冗談っぽく言っておりますが、実際に最初から兵隊や後輩がついているという破格の扱いだったそうです。
その後着々と階級を上げ最終的には4次団体の組長となるまでになります。
26歳の時にその時の組長が嫌いでいったんはヤクザの世界から離れますが、その後その時の組の若頭が亡くなり葬儀に出た時にまた組との接点ができてしまい再び戻るという事になります。
このときけじめとして小指を詰めるのですが、これが原因で後にタイに格闘修行に行っているときに審判を頼まれるのですが、小指がないからと断ったのだそうです。
32歳で所属していた組が暴対法の絡みで消滅し、ヤクザの世界からは足を洗い格闘家として歩んでいくのですが、次はそのことについてご紹介致します。
格闘家から指導者へ~格闘歴について
柏倉守硫(かしくらまもる)さんが格闘技を始めたのは32歳の時でした。
ヤクザの世界から足を洗い、これまでは組の名前などに守られている部分もあったが今後は自分の身を守るのは自分だけという事で空手を習い始めます。
その後、プロになりたいというよりも強くなっていくことが楽しいと思えるようになり、時代がK-1やPRIDEなど格闘技ブームであったこともあって総合格闘家となることを目指します。
THE OUTSIDER 第10戦で敗戦するなどありましたが、37歳の時にGRACHAN7でプロデビューを飾ります。
ここまで来るのにも紆余曲折あり、ヤクザの世界から足を洗って5年間は元暴5年条項と呼ばれる法律のため、ヤクザと同じく銀行口座の開設や賃貸契約が出来ない、携帯電話がもてないなどの成約があり。
しかもちょっと口論をしただけでも警察に逮捕されるという事で、この5年間に3~4回は逮捕されたということです。
プロデビュー後はイタリア留学を経て、総合格闘家では年齢も高かったため上は目指せないとブラジリアン柔術へと転身。
タイと中国へ3年間修行の旅に出るのですが、やはり格闘センスに恵まれていたのかどんどん強くなり、そして指導者としての才能も開花させていきました。
なんとタイに修行中にのちの2004年・2006年のK-1チャンピオンとなるムエタイのレジェンド「ブアカーオ」さんの指導をしたこともあったそうです。
40歳で日本へ帰国その後は山本KID兄弟の指導をしたり、数々の指導をこなしつつブラジリアン柔術の大会にも参加し、全日本3位ともなっております。
構成するために格闘家となったのではなく格闘技をするうちに真人間となっていったという柏倉守硫(かしくらまもる)さん。
本当に波乱万丈な人生だったのだなと思いました。
これらの経歴はこちらの動画で語られたことをまとめたものとなります。
もっと詳しく知りたい方は、動画をご参考下さい。
では次は家族についてご紹介致します。
ブラジリアン柔術の使い手「柏倉守硫」のプロフィール ④家族
柏倉守硫(かしくらまもる)さんの家族ですが、実は祖父がヤクザで小さい頃から刺青姿の祖父を見ていたため、自分も刺青を入れることには抵抗がなかったということです。
お父様はお母様は一般人で、祖父はお母様のお父様という事になるのですが、ちょっと気の強いお母さんといったような感じだったそうです。
このような家庭環境だったため柏倉さんが暴走族に入った時や少年院に入った時も「やってしまったものはしょうがない」とそこまで深刻ではなかったようです。
現在は一家離散してしまい、家族がどこにいるのかはわからないそうです。
今後、柏倉守硫(かしくらまもる)さんが、有名となりもっとメディアに露出するようになれば、もしかしたら再会することもあるのかもしれませんね。
柏倉守硫(かしくらまもる)についてまとめ
ここまでブラジリアン柔術の使い手で、ブレイキンダウン7で話題となっている「エドポロキング」さんを始め数々の格闘家に指導してきた「柏倉守硫(かしくらまもる)」さんについてご紹介しました。
プロフィールや経歴についてまとめますとこのようになります。
このように波乱万丈の人生を送ってきた「柏倉守硫(かしくらまもる)」さん。
やはりこのような人生を送り表舞台に出ることは批判されることも有るそうです。
しかし、それでも自分がまっとうになれたのは格闘技のおかげだから今後はそういう道を外れてしまった若い子の道しるべとなりたいと語っております。
そういうこともあって「エドポロキング」さんの指導も引き受けていたのかもしれませんね。
しかし、これだけの経歴をひっさげているのならなんだか「柏倉守硫(かしくらまもる)」さん自体もブレイキングダウンに出ても面白いかな、なんて思っちゃいました。
年齢がちょっと上すぎるかな‥?
ブレイキングダウンのシニア部門なんてあってもいいんじゃないですかね。
しかし柏倉さんと同年代としてはこれからのますますのご活躍をお祈りしたいと思わずにはいられません。
これからも頑張ってください!
ここまで読んでいただきましてありがとうございました。
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